で会った、貴様もこの店に馴染《なじみ》があるのか」
「どう致しまして、ここは私共の入るところではございません、こんなところへ入りますと罰《ばち》が当るそうでございます、私共には私共で、身分相当な気の置けないところがあるんでございますけれど、生憎《あいにく》どうも」
「よし、好きなところで遊んで来い、そうして暇を見てここへ話しに来るがよい」
主膳は紙に包んで幾干《いくらか》の金をやりました。金助は崩れるほど嬉しがって、それを幾度かおしいただきました。
「これこれ、こう来なくっちゃあならねえのだ」
という面をして、お礼の文句を繰返しながら、暇乞いをしてひとまず別れました。天水桶のあたりへ再びうろついて来て、いま神尾主膳から貰った紙包を開いて見ると、
「一両! 占めた」
と言って通りがかりの人を驚かせました。金助は一両の金にありついて、有頂天《うちょうてん》になって喜びながら、一両あればかなりのところで遊べると、一時は大成金になった心持で、どこで遊ぼうかここで遊ぼうかと、足を空《そら》にして歩いていたが、急に、
「待て待て、運の向いて来る時にはトントン拍子に向って来るものだ、ここで金の蔓《つる》にありついたのを、そのまま使ってしまえば一両は一両だ、これを手繰《たぐ》ってみると、裏表に利札《りふだ》がついているやつを、今まで気がつかなかったのが我ながらおぞましい」
と言って、万字屋の方を見ながらニヤリと笑いました。このとき金助の心持は、今までの小成金気分の酔いから、すっかり醒《さ》めてしまって、一両の金に随喜するような心から解放されて、もっと遠大な計画に、一歩を進めることに気がついたらしくありました。そうなると、四百の銭見世や二朱の小見世は金助の眼中になくなって、その面付《かおつき》もいくらか緊張してきました。
「今、さるところで神尾の殿様に会って一両いただきました、とこう言えば、あちらでも一両|下《した》ということはあるめえ、初会が一両に裏を返せばまた一両、こいつは、もう少し仕組みを換えると大やま[#「やま」に傍点]が当らねえものでもなかりそうだ。何しろ、神尾の殿様にしたところが世間の明るい体ではなし、神尾の殿様を見つけたら知らせてくれと頼んだお方の、宇津木兵馬て人はどうやら敵持《かたきも》ちのようだから、ここの間で手管《てくだ》をするとうまい仕事ができそうだ。本所の相生町まではかなり大儀な道だけれども、慾と二人づれでは、さして苦にもならねえのさ。幸いここに一両ある、これをくずすのは惜しいけれども、大慾は無慾に似たりというのはつまりここだ、これを張り込んで景気よく、相生町まで駕籠を飛ばせることだ」
金助は、ここでからりと心持が変って、廓《くるわ》をあとに大門を飛び出して、景気よい声で辻駕籠を呼びます。
八
その晩、宇津木兵馬は不意に、金助が尋ねて来たという案内で、何事かと思うと、
「夜分、こんなにおそく上って済みません。いや、驚きましたね、まだお休みにならず、ちゃんと袴《はかま》を着けて御勉強でございますか、恐れ入りました」
言わでもの空口《からくち》を言って跪《かしこ》まり、
「まことに穏かならぬことが出来ましたから、それで取敢《とりあ》えず御注進に参りました」
と言って金助は、吉原で見た神尾主膳のことを遠廻しに話した上に、神尾から心づけを貰ったことの暗示をして、兵馬から若干《いくらか》の小遣《こづかい》にありついた上に、せき立つ兵馬を抑えて、わざとゆっくり構え込み、
「しかし、宇津木様、そうお急ぎにならずともよろしうございます、あの里へお入りになったものが、宵《よい》に来て宵に帰るというようなのはたんとございません、それよりか宇津木様、お忘れ物のないように、くれぐれも御用心をしていらっしゃいまし」
「これでよい、何も忘れ物はない」
「左様でもございましょうが、ほかへ参るのと違いまして、あの里へ参るんでございますから、御用心の上に御用心が肝腎《かんじん》でございます、その御用心が足りませんと、飛んだ恥を掻くようなことがあったり、またみすみす大事なものを取逃がすようなことがないとも限りません、あの里ばかりは別な世界でございますからな」
遠廻しに言うけれども、やはり、その帰するところは同じようなことであります。
「なるほど」
兵馬は、それを覚《さと》らないほどに迂闊《うかつ》ではありません。そこを金助が見て取って、
「何しろ、先方様は大籬《おおまがき》へ、茶屋からお上りになったんでございますからね、こちらもそのつもりで二十両や三十両がところは用意して参りませんと……」
金助からそう言われて、兵馬はハタと当惑しました。兵馬の懐中にはその当座の小遣《こづかい》として、二三両の金を持っていたばかりです。「
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