ということは、その日のうちにもわからず、その翌日もわからず、三日目になって、ようやく二人の姿を見出すことができました。三日目に二人の姿を見出したところは、もう甲州や信州ではなく、それかといって碓氷峠《うすいとうげ》からまた江戸の方へ廻り直したものでもなく、京都の町の真中へ現われたことは、やや飛び離れております。
 いつ、どうして木曾を通ったか、不破《ふわ》や逢坂《おうさか》の関を越えたのはいつごろであったか、そんなことは目にも留まらないうちに、早や二人は京都の真中の六角堂あたりへ身ぶるいして到着しました。この二人が何の目的あって京都まで伸《の》したものかは一向わかりません。上方《かみがた》の風雲は以前に見えた時よりも、この時分は一層険悪なものになっていました。例の近藤勇の新撰組は、この時分がその得意の絶頂の時代でありました。十四代の将軍は、長州再征のために京都へ上っていました。その中へがんりき[#「がんりき」に傍点]と七兵衛が面《かお》を出したということは、かなり物騒なことのようだけれども、その物騒は天下の風雲に関するような物騒ではありません。
 この二人が徳川へ加担《かたん》したからと言って、長州へ味方をしたからと言って、天下の大勢にはいくらの影響もあるものでないことは、二人ともよく知っているはずであります。二人もまた、決して尊王愛国のために京都へ面を出したのではありますまい。思うに、甲州から関東へかけては二人の世界がようやく狭くなってくるし、ちょうど幸いに、公方様《くぼうさま》は上方へおいでになっているし、江戸はお留守で上方が本場のような時勢になっているから、一番、こっちで、またいたずらを始めようという出来心に過ぎますまい。
「兄貴、上方には美《い》い女がいるなあ、随分美い女がいるけれど、歯ごたえのある女はいねえようだ、口へ入れると溶けそうな女ばかりで、食って旨《うま》そうな奴は見当らねえや」
 まだ宿へ着かない先に、町の中でがんりき[#「がんりき」に傍点]がこんなことを言いながら、町を通る京女の姿を見廻しました。
「この野郎、よくよく食意地《くいいじ》が張っていやがる」
 七兵衛は、こう言って苦笑《にがわら》いをしました。

         五

 この二人が京都へ入り込んだのと前後して、甲州から江戸へ下るらしい宇津木兵馬の旅装を見ることになりました。
 恵林寺へも暇乞《いとまご》いをして、勝沼の富永屋へ着いた兵馬は、別に一人の伴《とも》をつれていました。その伴というのは、この間まで躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の神尾の古屋敷にいた金助です。してみれば、金助も頼む神尾の殿様なるものはいなくなるし、あの古屋敷も売り物に出るというわけで、甲府|住居《ずまい》も覚束《おぼつか》なくなっていたところへ、兵馬に説かれたものか、兵馬を説きつけたものか、この人の伴となって江戸へ脱け出そうとするものらしくあります。
 この俄《にわか》ごしらえの主従が富永屋へ草鞋《わらじ》を脱いだ時分に、富永屋には例のお角もいませんでした。机竜之助もいませんでした。お銀様も、ムク犬もまた姿は見えません。
 兵馬は翌朝、宿を出て笹子峠へかかると、金助が、
「これから私も心を入れ替えてずいぶん忠義を尽しますよ、お前様もこれからズンズン御出世をなさいまし。まあ、私が考えるのに、これからは学問でなくちゃいけませんな、お前様は腕前はお出来になって結構でございます、学問の方も御如才はございますまいが、学問も、どうやら今までの四角な学問よりも、横の方へ読んで行く毛唐《けとう》のやつの方が、これから流行《はや》りそうでございますぜ、今、鉄砲にしてみたところが、どうもあっちのやつの方が素敵でございますからね。お前様もこれから学問をおやりになるならば、毛唐のやつの方を精出しておやりなさいませ、あれが当世でございますぜ」
 金助は、よくこんな巧者な話をしたがります。そうして高慢面《こうまんがお》に、忠告めいたことを言って納まりたがる人間であります。
「私なんぞは、もう駄目でございます、これでも小さい時分から学問は好きには好きでございました、けれどもほかの道楽も好きには好きでございました、親譲りの財産《しんだい》がこれでも相当にあるにはあったんでございますがね、みんなくだらなく遣《つか》ってしまいましたよ、これと言って取留まりがなく遣ってしまいましたよ、なあに、いま考えても惜しいともなんとも思いませんがね、かなりこれでも遊んだものでございますよ、だから江戸を食いつめて甲州まで渡り歩いているんでございます、江戸へ帰ったら、また病が出るだろうと思ってそれが心配でございますよ、でもまあ、昔と違って今は、まるっきり融通というものが利きませんからね、これで融通が利き出すとずいぶん危ねえもの
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