然めぐり会ってみると、不思議に堪えないながらも、さすがに懐しい心持が湧いて来ないでもありません。
「おや、お前はムクではないか」
と言った時に、ムクの後ろから少し離れた土手の上に、人の影が一つ見えることに、はじめて気がつきました。
お銀様にとってはついぞ見たことのない人、しかもそれは年増盛《としまざか》りの水気の多い女の人、この辺ではあまり見かけない肌合の、小またの切れ上った女の人が余念なく自分の方を見ていたから、お銀様もまぶしそうにその年増の女を見返していると、向うから丁寧に腰をかがめて笑顔を見せました。お銀様もそれに返しのお辞儀をしました。
「ムクや、ムクや」
その年増の女の人が、やさしい声をして犬を呼びました。果してこの犬の名をムクという。ムクの名を知っている上は、お君に縁ある人に違いない、と思っているうちに、その年増の女は土手を下って、お銀様に近い川の岸の蛇籠《じゃかご》の傍へやって来ました。
この年増の女、お銀様にはまだ知己《ちかづき》のない人でしたけれども、これはお君のもとの太夫元、女軽業の親方のお角《かく》であります。ここでムク犬が、お銀様とお角とを引合せる役目をつとめました。
「ちょうど一昨日《おととい》の夕方でありました、うちの男衆がこの出水《でみず》で雑魚《ざこ》を捕ると申しまして、四手《よつで》を下ろしておりますと、そこへこの犬が流れついたのでございます、吃驚《びっくり》してよく見ると、この犬が人間の着物をくわえてそこまで泳いで来ていたものでございますから、驚いて人を呼んで、その人をお助け申して家へお連れ申しましたけれど、どこのお方やら一向にわかりませんので……幸いに呼吸《いき》は吹き返しましてただいま、宿に休んでおいでなさるのでございますが、まだお口をおききなさるようにはなりません。そうするとこの犬がまた、わたしを引張り出すようにして外へ連れ出しましたから、もしやとそのあとをついて来てみると恵林寺様へ入りました。恵林寺様へ入りますとあすこでは、ソレ黒が来た。黒が来たと大勢してこの犬を迎えて、皆さんがお悦びになりました。やがてまたこの犬がわたくしを、川の方へ川の方へと連れて参りますから、もしや、これはもとこの犬の主人であった女の子が、川へ陥《はま》って死んでいるところへ、わたくしを連れて行くのではないかと胸騒ぎがしながら、あとをついて行っ
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