なた様のお邸ではござりませぬか」
「躑躅ケ崎が拙者の何であろうと、其許に尋ねられる由はない。いったい、君は誰に断わってここへ来た」
「ひとりで参上致しました」
「断わりなしに来たか、無礼千万な、帰らっしゃい」
 主膳は起き直って、刀架から刀を取りました。
「まずお控え下されませ」
「黙れ黙れ、物を尋ねるなら尋ねるようにして来るがよい、人の寝込みへ踏み込んで、吟味するような尋ねぶり、小癪千万な」
 主膳は、甚だしく怒りました。
「そのお腹立ちを覚悟で参りました、あなた様がどうあっても、その机竜之助の行方《ゆくえ》を御存じないとおっしゃるならば、私にも覚悟がござりまする」
「ナニ、覚悟がある? 覚悟とはどうしようというのじゃ、小倅《こせがれ》の分際《ぶんざい》で」
「町奉行へ訴えて出まする」
「町奉行へ何を訴える、誰を町奉行へ訴えるのじゃ」
「あなた様のお屋敷へ火をつけた穢多《えた》非人《ひにん》の在所《ありか》を、訴えて出ようと思いまする」
「ナニ、穢多がどうした」
 神尾主膳は歯をギリギリと噛《か》んで、兵馬の面《かお》を睨《にら》めました。
「憎い奴、憎い奴」
 神尾主膳は怒心頭《いかりしんとう》に発したようでしたけれども、その間に多少の不安もあるようです。
「机竜之助の行方をさえお知らせ下さるならば、そのほかには、あなた様に御用のない私でござりまする」
「知らん、右様《みぎよう》な者は知らんと申すに」
 主膳は堪《こら》え兼ねて兵馬の隙をうかがい、刀の柄《つか》に手をかけました。抜打ちに斬って捨てようとするものらしい。
「それはかえってお為めになりませぬ」
 兵馬は主膳の手を押えました。
「放せ」
「左様にお手荒なことをなさると、場所柄でござりまする、あなた様のお名前が出まする」
「憎い奴だ」
 主膳はもがくけれども、兵馬に押えられて刀を抜くことができません。
「あの机竜之助と申す者は、拙者のためには敵《かたき》でござりまする、あの者を討ちたいがために多年、拙者は苦心致しておるものでござりまする、どうぞ武士のお情けを以て、その行方をお知らせ下さりませ」
「知らんと申すに、くどい奴じゃ」
「これほどに申し上げても」
「知らぬものは知らぬ、近ごろ珍しいほど執念深い奴じゃ、その分で置くではないけれど、拙者もこのごろは世を忍ぶ身じゃ、今日は許しておく、帰らっしゃい」

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