上にも何か変事はなかったろうかと、それが心配になって、心細いよりは怖ろしさに堪えられないようであります。
昨夜、床に就いて、うとうととしかけたのはかなり夜が更《ふ》け渡った時分でありました。その時に、枕許に人の足音のすることを、確かにお君は気がついていました。
兵馬を待ち兼ねている心持だけで、それに気がついたのではありません、お君は物を用心する女でありました。こうなってみると、自分の身が何物より大切に思われるし、また頼りなくも思われてならないのに、この女は、古市《ふるいち》にあって、撥《ばち》を揚げて旅人の投げ銭を受けることを習わせられた手練が、おのずから心の油断を少なくしていました。ふと眼が醒《さ》めた時に、
「誰じゃ」
誰じゃと咎《とが》めてみた時に、その応答がなくて、何か急に自分の身《からだ》の上へ押しかかるものがあるように思ったから、急いで褥《しとね》を飛び起きて、
「どなたかお出合い下さい、悪者が……」
こう言って叫びを立てると、
「エエ、いめえましい」
と言って、枕を拾ってお君に打ちつけたのは、怪しい頬冠《ほおかぶ》りの男でありました。
「あれ――」
お君はこの場
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