繁みから音無川の谷の中へ下りて見たところが、そこに忍び返しをつけた塀があります。
「こいつはいけねえ」
七兵衛はその下を潜ろうか、上を乗り越えようかと思案したけれど、それは咄嗟《とっさ》の場合、さすがの七兵衛も、どうしていいかわからぬくらいの邪魔物でありました。
「ちょッ」
仕方がないからわざわざ岸へ上って、家のまわりを、遠くから一廻りして表へ出て見ました。
こうして前後を見廻したけれど、いま庭で立消えになったがんりき[#「がんりき」に傍点]の姿は、いずれにも認めることができません。
「野郎、まだ中に隠れているな、おれがあとをつけたことを感づいたもんだから、この屋敷の中で立往生をしていやがる、それともほかに抜け道をこしらえておいたものか、それにしては手廻しがよすぎるが、どうしてもあの裏手よりほかに逃げ道はねえはずなんだが……ハテ」
七兵衛は、また裏の方へ廻って見ました。そこでもまた再びその影も形も認めることができないから、ともかくも中へ入ってみようとする気になったらしく、そっとその木戸を押してみると、雑作《ぞうさ》なく開いた途端に、
「泥棒、泥棒、泥棒」
泥棒、泥棒と騒ぎ立
前へ
次へ
全172ページ中79ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング