も知ることができないらしくあります。この奇異なる労働者が知ろうとして知ることのできないのは、ただ右の秘密室の内部ばかりであるようです。
 しかしながら長い間、間断なく心がけていれば、ついには何物かを得られる機会があるものです。今宵も例の通り秘密室の柵の外まで忍んで、水辺の立木の下に、そっと忍んで考えていると、その柵の一部分の戸が開きました。
 打見たところは高い柵であったけれど、その下の一部が開き戸になっていて、内から押せば開くものだということは、今まで気がつきませんでした。
 南条といわれた奇異なる労働者は、さてこそと闇の中に眼をみはりました。この人は永らく獄中の経験があったために、暗いところで物を視るの力が人並以上なのであります。
 そこに南条が隠れて様子を見張っているということを知らないらしい中なる人は、戸をあけると、スックと外へ身を現わしました。
 それを一目見た時に南条は、直ちに見覚えのある人だということがわかりました。まだ年若き侍体《さむらいてい》の者であることは誰が見てもわかることでしたけれど、その若い侍体の人柄に見覚えがあることから、南条はじっと立って動きませんでした。
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