てしまいました。
 一死よりも名誉を重んじ、一命よりも門地を尚《たっと》ぶ習慣の空気に生い立ちながら、みすみすこういうことをしでかした能登守には、魔が附いたと見るよりほかはないのであります。それほどの馬鹿でもなかったはずの人が、これより上の恥辱はないほどの恥辱を以て、生きながら葬られたことは、ひとごとながら浅ましさに堪えられないほどのことであります。
 それでありながら立派に腹も切れないとは、よくよく腰が抜けたものだと憤慨する人や、ここで腹を切ったら、それこそ恥の上の恥の上塗りだと冷笑する者や、それらの空気の間で、駒井家は見事に没落して、その空《あき》屋敷《やしき》の前を通りかかった者でもなければ、もう噂をいう人もないという時分になってしまいました。
 その時分に、王子の滝の川の甚兵衛という水車小舎の附近へ、公儀から役人が出向いて、縄張りがはじまりました。何か目的あってこの土地へ建前《たてまえ》をするもののように見受けられました。ことにそれは、川に沿うて水の流れを利用するらしい計画であります。
 土地の人も、最初は何の目的の縄張りであるかを知りませんでした。ほどなく同地の扇屋を旅館とし
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