ったのも、誰も知るものはありませんでした。これを想像するに、或いはいったん甲府へ帰って、また神尾主膳の下屋敷にでも隠れるようになったものかも知れません。或いはまたお銀様の望み通りに、江戸へ向けて姿を晦《くら》ましたものかも知れません。とにかく、八幡村にはこの二人の姿は見えないのであります。
或る人はまた、夜陰《やいん》、小泉家から出た二挺の駕籠《かご》が、恵林寺《えりんじ》まで入ったということを見届けたというものもありました。しかし、小泉家と恵林寺とは、常に往来することの珍らしからぬ間柄でありましたから、それを怪しむ心を以て見届けたのではありません。
駒井能登守去って以来の甲府は、神尾主膳の得意の時となりました。けれどもその得意は、あまり寝ざめのよい得意ではありませんでした。心ある人は主膳の得意を爪弾《つまはじ》きしていました。主膳自らもこのごろは、酒に耽《ふけ》ることが一層甚だしくなって、酒乱の度も追々|嵩《こう》じてくるのであります。酒乱の後には、二日も三日も病気になって寝るようなことがあります。
主膳は執念深くも、能登守がお君という女をどのように処分するかを注目し、手討にし
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