物としての道庵は、貧窮組と聞いて喜んで演説までしたけれども、それは至極穏健な演説で、貧窮組にも同情を寄せるし、物持連中にも、なるべく怪我をさせないようにとの苦心をしたものでありました。
道庵はこんな張札をする人物でないということは、お上の役人にもよくわかっているけれど、それにしてもこの筆蹟が道庵ソックリの筆蹟でありました。これはイタズラ者が、わざと道庵の筆蹟を真似て書いて、あとを晦《くら》まそうとした手段であることは明らかだけれど、それがために、いい迷惑を蒙《こうむ》ったのは道庵先生であります。ことにこのごろは鰡八大尽《ぼらはちだいじん》と楯を突き合っている時でもあるし、よしこれは道庵が書かないにしても、道庵に知合いのもの、道庵の許《もと》へ出入りする者の仕業《しわざ》ではないかと、目を着けられるようになったのがかわいそうであります。
三
甲斐《かい》の国の八幡《やわた》村の水車小屋附近で、若い村の娘が惨殺されて村を騒がした後、小泉家には、机竜之助もお銀様もその姿を見ることができなくなりました。
二人はどこへ行ったか、その入って来た時と同じように、この家を去
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