い、鰡八がどうしたんだい」
と言って悪態《あくたい》をつくものもありました。しかしそれは、悪態をつく方が間違っているのであります。大尽だからと言って、この広大な園遊会を開き、それから非常な高給を払って朝鮮役者を招くからには、そのくらいの場代を取ることは、少しも無理はないのであります。無理はないのみならず、日本ではほとんど見ることができないと言われた朝鮮芝居を、こうしてそのまま持って来て、居ながらにして見せてくれるということは、並大抵の興行師などではできないことであります。それですから見物は、大尽の威勢と恩恵とに感涙を流して、場代を払わなければならないのであります。それを無料《ただ》見ようなどというのはいかにもさもしいことであります。
 しかし、江戸っ児にも、そうさもしいものばかりはありませんでした。場代が高いと言ってしりごみをして、この珍しいものを見ないで帰るのは、たしかに江戸っ児の沽券《こけん》に触《さわ》ると力《りき》み出すものが多くありました。江戸っ児の腹を見られて朝鮮人に笑われても詰らねえと、国際的に気前を見せる者もありました。それがために、いったん二の足を踏みかけた見物が、み
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