あります。それでこの老女は、薩摩の家老の母親で、天璋院殿のためには外《よそ》ながら後見の地位におり、ややもすれば暗雲の蟠《わだかま》る大奥の勢力争いを、ここに離れて見張っているのだということであります。将軍の御台所も、薩摩の殿様でさえも一目置くくらいの権威があるのだから、ここへ出入りする武士どもを、子供扱いにするのは無理のないことだというような説もなるほどと聞ける。
もう一つの説は、こうであります。
十三代の将軍が、わずかに三十五歳で亡くなった後に、幕府では例の継嗣《けいし》問題で騒ぎました。その揚句《あげく》に紀州から迎えられたのが十四代の将軍|昭徳院殿《しょうとくいんでん》(家茂《いえもち》)であります。この家茂に降嫁された夫人が、すなわち和宮《かずのみや》であります。和宮は時の帝《みかど》、孝明天皇の御妹であらせられました。
それが京都と関東との御仲の御合体のためにとて御降嫁になったことは、その時代において、この上もなき大慶のこととされておりました。
疑問の老女は、和宮様のために公家《こうけ》から附けられた重い役目の人であるというのも、なるほどと聞かれる説でありました。も
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