ん。
 けれども、その筋においても、一応|内偵《ないてい》しての上、どうしたものか急に手を引いてしまったらしいようであります。
 ここにおいて、老女の身辺には幾多の臆測が加わりました。誰いうとなく、こんなことを言うものがあります。
 十三代の将軍|温恭院殿《おんきょういんでん》(家定《いえさだ》)の御台所《みだいどころ》は、薩摩の島津斉彬《しまづなりあきら》の娘さんであります。お輿入《こしいれ》があってから僅か三年に満たないうちに、将軍が亡くなりました。二十四の年に後家さんになった将軍の御台所が、すなわち天璋院《てんしょういん》であります。天璋院殿は島津の息女であったけれども、近衛家《このえけ》の養女として、将軍家定に縁附いたものだということであります。この老女は、その天璋院殿のために、薩摩から特に選ばれて附けられた人であるというのが一説であります。
 その説によると、この老女の背後には、将軍の御台所の権威と、大大名の薩摩の勢力とが加えられてあるわけであります。だからそこへ出入りする浪士体の者の中には薩摩弁の者が多く、そうでないにしても、九州言葉の者が多いのが何よりの証拠だということで
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