かが一疋の犬だもの。
 こうして遊戯の選手に当るべき犬殺しの来るのを待っている間に、例の長吉、長太の犬殺しが、犬潜《いぬくぐ》りから入って来ました。
 生きながら皮を剥かれてその動物が、なお生きて動けるかどうかというような議論の、非常識であることは申すまでもありません。それを実行せしめようとする神尾主膳らの心持もまた、人間並みの沙汰《さた》ではありません。それを引受けた犬殺しは、商売だから論外に置くとしても、彼等はそれを引受けて、見事やり了《おお》せるつもりで出て来たのか知らん。やり了せても、やり損っても、武士《さむらい》たちの高圧でぜひなくこんな仕事を引受けたものに相違ないのであります。
 それだから彼等には、皮を剥いて、それが生きていようとも死んでしまおうとも、それには責任がなくて、ただ剥ぎぶりの手際の鮮やかなところを御覧に入れさえすれば、義務が済むものと心得ているらしい。
 犬殺しが入って来たのを見ると、主人役の神尾主膳を初めとして、見物の人は緊張しました。犬殺しは遠くの方から、怖る怖る地上へ膝行《しっこう》して集まった人たちを仰ぎ見ることをしないで、犬の方へばかり近寄って行きま
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