た。身につけているのも筒袖の着物と羽織に、太い洋袴《ズボン》を穿《は》いています。
この人としてはこういう形をすることもありそうなことだけれど、その当時にあっては、破天荒《はてんこう》なハイカラ姿でありました。この姿をしてうっかり市中を歩いて、例の攘夷党の志士にでも見つかろうものならば、売国奴《ばいこくど》のように罵られて、その長い刀の血祭りに会うことは眼に見えるようなものであります。幸いなことに、この人はここに引籠っているから、この急進的なハイカラ姿を、何者にも見つからないで済むのでありましょう。
能登守――と言わず、これからは駒井甚三郎と呼ぶ――はいま椅子へ腰を卸すと共に、額に滲《にじ》む汗を拭いて、ホッと息をついて空《むな》しく天井をながめていました。
この室内の模様は、前に甲府の邸内にあった時と、ほぼ同じような書物と、武器と、それから別に、洋式の機械類と薬品などで充満していました。
吐息《といき》をついた駒井甚三郎は、やがて両の手を面《かお》に当て、卓子に臂《ひじ》をついて俯向《うつむ》いていました。それからまた身を起し、肱掛《ひじかけ》に片腕を置いてじっと前の卓上をながめている前には、長さ二尺に幅四寸ほどの小形の蒸気船の模型が一つ置いてあります。
駒井甚三郎は、その蒸気船の模型からしばしも眼は放さずに、手はペンを取って、しきりに角度のようなものを幾つも書いているのであります。この人は、いま出向いて行ったことのために、何か気に鬱屈《うっくつ》があってこうしているのかと思えば、そうではなくて、この小型の蒸気船の模型と、それを見ながら幾つも幾つも線と劃を引張ることに一心不乱であるものらしく見えます。それにようやく打込んでゆくと、急に洋式の算術らしいことを始め、次に日本の算盤《そろばん》を取って幾度か計算を試み、それから細長い形の黒い玉を取っては秤台《はかりだい》の上へ載せ、それを幾つも幾つも繰返して、その度毎に目方を記入しているようでありました。
この時分、夜はようやく更《ふ》けて行って、水車の万力《まんりき》の音もやんでしまい、空はたいへんに曇って、雨か風かと気遣《きづか》われるような気候になってきたことも、内にあって一心にこれらの計算に耽《ふけ》っている駒井甚三郎には、いっこう感じがないらしくあります。
風が出たなと思った時分に、駒井甚三郎は、ふと戸の外を叩く物の音のあることに気がつきました。宇津木兵馬がまた訪ねて来たなと思って、甚三郎は立って戸をあけにかかりました。けれどもそれは宇津木兵馬ではなくて、見馴れぬ労働者風の男でありましたから、
「誰じゃ」
甚三郎は拳銃をさぐって用心しました。
「拙者だ、南条だ」
駒井甚三郎は、その一言で了解することができました。
ほどなく駒井甚三郎と南条なにがしという奇異なる労働者と二人は、前の室内で椅子によって対坐することとなりました。
その以前、やはり不意にこの男が、甲府の駒井能登守の邸を夜中に驚かしたことがあったように。
その時はそれと知らずして驚かしたものでしたが、今はそれと知って訪ねて来たものらしい。
能登守の風采《ふうさい》もその時とは変っているが、南条の風采もやや変っています。
「何をしていた」
と駒井甚三郎が尋ねました。
「ここの工事の人足を働いている」
南条が答えます。
「それは知らなかった」
「こっちも知らなかった」
「どうして拙者がここにいることがわかったか」
「宇津木兵馬から聞いた」
「なるほど――」
南条は室内を一通り見渡したが、例の小型の蒸気船の模型を認めて、
「これは――」
と言って、特に熱心にその船の形を見つめていました。
「これは拙者が工夫中のカノネール、ボートじゃ、ずいぶん苦心している」
「なるほど」
南条は面《かお》をつきつけるようにして、その小形の蒸気船の模型を、前後左右からつくづくとながめ入ります。その熱心さが設計者の駒井甚三郎にとっては、何物よりも満足に思うところらしく、
「よく見てくれ、そして批評をしてくれ、長さは二十間で幅は四間になる、船の構造はまず自分ながら申し分はないつもりだ、機関の装置も多少は研究し、速力も巡陽、回天あたりよりも一段とすぐれたものになるつもりじゃ。しかし、いま問題にしているのはそれに載せる大砲よ、なるべく大口径にして、遠距離に達するように苦心している。それと大砲を据《す》え付くる場所じゃ、ここのプーフに装置するのが最もよかろうと思われる、船体の釣合上、大砲が大き過ぎても困る、と言って従来の例を追うのも愚かなこと、火薬と瓦斯《ガス》の抵抗がどのぐらいまで全体の平均に及ぼすか、それを実地に計ってみたいと苦心している」
駒井甚三郎は、こんなふうに説明しながら、いま秤台《はかりだい》にかけてい
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