も知ることができないらしくあります。この奇異なる労働者が知ろうとして知ることのできないのは、ただ右の秘密室の内部ばかりであるようです。
 しかしながら長い間、間断なく心がけていれば、ついには何物かを得られる機会があるものです。今宵も例の通り秘密室の柵の外まで忍んで、水辺の立木の下に、そっと忍んで考えていると、その柵の一部分の戸が開きました。
 打見たところは高い柵であったけれど、その下の一部が開き戸になっていて、内から押せば開くものだということは、今まで気がつきませんでした。
 南条といわれた奇異なる労働者は、さてこそと闇の中に眼をみはりました。この人は永らく獄中の経験があったために、暗いところで物を視るの力が人並以上なのであります。
 そこに南条が隠れて様子を見張っているということを知らないらしい中なる人は、戸をあけると、スックと外へ身を現わしました。
 それを一目見た時に南条は、直ちに見覚えのある人だということがわかりました。まだ年若き侍体《さむらいてい》の者であることは誰が見てもわかることでしたけれど、その若い侍体の人柄に見覚えがあることから、南条はじっと立って動きませんでした。
 この人が外へ出ると、開き戸が内から閉されてしまったことを見ると、内にも確かに人がいることに違いないのであります。
 内から出た人は、小橋を渡って木立の深みへ身を隠しました。この人をやり過ごして、中なる秘密室の構造に当ってみようか、それともこの人のあとをつけて、その行先を突留めようかと、奇異なる労働者は思案をするもののようでありましたが、その思案は後の方のものにとまったらしく、出て行く人のあとをつけて、木立の深みへ入りました。人影は権現《ごんげん》の社《やしろ》の方をめざして歩みを運ぶもののようであります。
「そこへ行くのは宇津木ではないか」
 火薬の製造所をやや離れてから後ろに呼ぶ声を聞いて、前に進んで行った若い侍風の人は、ハタと歩みを止めました。
「誰だ」
 闇の中から透《すか》して後ろを顧みたところへ、
「おれだ、南条だ」
と言ってなれなれしく近寄って来たので、
「おお」
と言って前なる人は、驚きと安心とで立って待っていました。呼ばれた通りこれは宇津木兵馬であります。
「久しぶりだった、久しぶりにまた妙なところで会ったものだ」
 目の前に立ったのは、甲府の牢内にいる時と、その牢を破ってから後も、苦楽を共にした奇異なる武士の南条でありましたから、
「これは南条殿、全く珍らしいところで……どうしてまたこの夜中に、その身なりで」
「それよりも宇津木、君こそこの夜中にどこへ行ったのじゃ」
「ツイそこまで」
「ツイそことは?」
「近いところに知人《しりびと》があって」
「近いところとは?」
「それは、あの……」
「いや、隠すには及ばない、君が今あの火薬の製造所から出て来たところを見かけて、拙者は後をつけて来たのだ」
「エエ! それでは見つかったか。しかし、余人ならぬ貴殿に見つけられたのは心配にならぬ」
「いったい、あの火薬の製造所の秘密室らしい研究所に隠れているのは、あれは誰じゃ」
「南条殿、貴殿はあの人が誰であるかをまだ御存じないのか」
「知らん」
「それほど鋭いお目を持ちながら……とは言え、誰にも知れぬが道理、実は外から出入りする者は、拙者のほかにないのでござる」
「うむ、そうであろう、おれも長らくあの辺にうろついているが、ついぞその人を見たことがない」
「わかってみれば何でもないこと、あれはな、甲府におられた駒井能登守殿じゃ」
「エエ! 駒井甚三郎か、それとは知らなんだ、なるほど、駒井か、駒井ならばあすこに隠れていそうな人だわい、これで万事がよくのみこめる、そうか、そうか」
 南条は幾度も頷《うなず》きました。
「今も能登守殿の話に貴殿の噂が出たところ。貴殿ならば、隠れておられる能登守殿も喜んで会われることと思う」
「会ってみたい、そう聞いては今夜にも会ってみたい」

         五

 権現社頭から帰って来たのは駒井能登守であります。今は能登守でもなければ勤番の支配でもありません。一個の士人としては到底、世の中に立てなくなった日蔭者の甚三郎であります。
 例の滝の川の火薬製造所の秘密室までは無事に帰って来て、真暗な室内の卓子《テーブル》の上を探って、その一端を押すと室内がパッと明るくなりました。
 頭巾《ずきん》を取って椅子に腰を卸《おろ》した能登守を見ると、姿も形もだいぶ前とは変っていることがわかります。まずその髪の毛を、当時異国人のするように散髪にして、真中より少し左へよったところで綺麗《きれい》に分けてありました。それから後ろの襟へかかったところまで長く撫で下ろした髪の末端を、鏝《こて》を当てたものかのように軽く捲き上げていまし
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