が、水量が不足だからという理由で、三ツ又の方へ持って行かれました。
工事の頭取には武田斐三郎、それを助けるのは御鉄砲玉薬下奉行《おてっぽうたまぐすりしたぶぎょう》の小林祐三、ほかに俗事役が三人と、そのころ算術と舎密学《しゃみつがく》に通じていた貝塚道次郎というものが、手伝いに出勤することとなりました。
注文の火薬製造機械は、和蘭《オランダ》のアムステルダムから帆前船に積み込まれたという通知もありました。
頭取をはじめ役人たちは扇屋を宿と定めていたけれど、工事の場所には作事小屋があって、そこに絶えず宿直している役人らしい者があります。
その小屋の一室へは、武田斐三郎や貝塚道次郎らが出入りするのみで、他に何人《なんぴと》も出入りすることを許されませんでした。それは、人に知られてはならない火薬上の秘密や、機械類の組立てをするところであろうと、俗事役の者や土方人夫などは、敢《あえ》てそれに近寄ろうとはしませんでした。
この秘密室は、夜になると厳重に錠が下ろされてしまいます。工事の見守りをする夜番の小屋はそこよりズッと隔たったところにあるから、ただ時々にその辺を廻って火の用心をするくらいに過ぎませんでした。この火薬の製造所を計画した小栗上野介は一流の人傑で、幕府においての主戦論者の第一人でありました。勘定奉行にして陸海軍奉行を兼ね、勝も大久保も皆その配下に働いたものであります。この火薬の製造所とても、西の方に起る大きな新勢力に対する用意の一つであることは申すまでもありません。王政維新を叫ぶ西の方の諸藩の人にとって、この火薬製造所の計画が、尋常のものとして見過ごされないのは当然であります。
この工事に入っている土方や人足にも、相当の吟味《ぎんみ》をして入れなければならないはずなのが、どうしたものか、少なくとも、たった一人だけ穏かでない人足を入れてあることは、役人たちの大きな手落ちと言おうか、それともその一人が変装と素性《すじょう》を隠すことの巧《たく》みなためと言おうか、とにかく、その土を担いだり、石を運んだりする人足のうちに、気をつけて見れば、それと気のつけらるべき男が一人あります。
それは、甲府の破獄以来のことを知ったものには、指して言いさえすればすぐわかることなので、あの時、牢屋を破った主謀者、後には偶然、駒井能登守邸にかくまわれた奇異なる武士、また甲州街道では馬を曳いてがんりき[#「がんりき」に傍点]を追い飛ばした馬子、ここでは土を担いだり石を運んだりさまざまに変幻出没するけれど、要するに同一の人で、あのとき南条といわれて通った浪士らしい男であります。
縄張外に立てられた土方部屋を、夜中に密《そっ》と抜け出して手拭をかぶりつつ、作事小屋の方へ忍んで行くのもその人であります。どこへ何の目的あって行くのかと思えば、柵《さく》を乗り越えて、作事小屋の中へ足を踏み込みました。
工事の頭取と公儀の重役とが秘密に会議をする作事小屋の一室――そこをめざしてこの仮装の労働者は忍んで行くもののようであります。この男が秘密室を探ろうとするのは、今夜に始まったことではないのであります。
毎夜のようにその辺を探ろうとして忍ぶものらしいが、いつもその目的を達せずして帰るもののようであります。今宵もまたその通りで、空《むな》しく工夫部屋まで引返したのは、やはり例の秘密室の構造が厳重なのか、或いは中にいる人の用心が周到なので近寄れなかったものと見えます。
そうしているうちに、この火薬製造所の工事は進んで行くのであります。右の南条と覚しき奇異なる労働者は、相変らず毎日石を運んだり土を荷《にな》ったりして、他の労働者と同じことに働いているのであります。
硝石《しょうせき》の精製所も出来ました。硫黄《いおう》の蒸溜所も出来上りました。機械類の磨き方は、鉄砲師の川崎|長門《ながと》と国友松造という者が来て引受けました。水圧器の組立ても出来ました。
その都度《つど》、右の労働者は、役人や仲間のものの気のつかないうちに、家の建前と機械類の構造を注意することは驚くべき熱心さでありました。熱心でそうして機敏でありました。人に気取《けど》られようとする時は、何かに紛らかして、なにくわぬ面《かお》をしている澄まし方などは、そのつもりで見れば驚くべき巧妙さであります。
夜になって人の寝静まった時分には、それらの見取図を頭の中から吐き出して紙に写していることも、誰にも知られないで進んで行きました。紙に写した見取図は、工夫部屋の縁の下を掘って埋めておくことも、誰にも見つけられないで納まって行きました。埋めておいてから例の通り疑問の秘密室の方へ出かけるけれども、そこばかりはどうしても近寄ることができないらしくあります。近寄ることができても、内部の模様はどうして
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