ようになるかも知れません、もしこれが御縁で大尽のお気に入りにでもなって、お出入りが叶うようになりますれば、使に立った私共までが面目でございます」
「この馬鹿野郎!」
道庵先生はこの時に、眼より高く差し上げていた薬研を、力を極めて玄関先へ投げつけました、薬研は凄《すさま》じい音をして、鰡八大尽の使者の足許へ落ちました。それと共に爆裂弾の破裂するような道庵先生の大音で、
「ざまあ見やがれ!」
使者の連中は、この人並ならぬ道庵先生の挙動と、足許で破裂した薬研の響きで、腰を抜かすほどに驚きました。
物を知らないというのは怖《おそ》ろしいものであります。使者の連中も、最初から道庵先生と心得てかかれば、これほどのことはなかったであろうに、惜しいことに、その辺の注意が行届かなかったから、こういうことになったのは返す返すも残念でありました。
「こりゃ気狂《きちが》いだ」
長居をしてはどういう目に逢うか知れないと思って、あわてふためいて這々《ほうほう》の体《てい》で、使者の連中は逃げ帰ってしまいました。
こうして彼等を追い返したけれども、道庵先生の余憤はまだ冷めないのであります。寝巻のままで庭へ飛び下りました。庭へ飛び下りて用心梯子《ようじんばしご》まで来ると、それへ足をかけて、みるみる屋根の上へ登ってしまいました。雇人の国公は、先生として斯様《かよう》な挙動はありがちのことだから、別段に驚きもしないし、いま物狂わしく屋根の上へ登って行く道庵先生を見ても、それを抱き留めようともなんともしないのであります。
それよりもいま、道庵先生が投げた薬研を、玄関の鋪石《しきいし》のところから拾い上げて、転《ころ》んだ子供をいたわるように撫《な》でていましたが、それが鋪石に当って、多少の凹みが出来たことを惜しいものだと思っています。先生がムキになって何かを抛《ほう》り出して大切の物を創《きず》にするのは、今に始まったことではありませんでした。
この夜中に屋根の上へ登った道庵先生は、それでも辷《すべ》り落ちもしないで、やがて屋の棟《むね》の上へスックと立ちました。
ここから見上げると、鰡八大尽の大厦高楼《たいかこうろう》は眼の前に聳《そび》えているのであります。道庵先生はそれを睨みつけながら、
「鰡八、鰡八」
と突拍子《とっぴょうし》もなく大きな声で怒鳴りました。近所の人はその声に夢
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