すみす目玉の飛び出るほど高い場代を払って門の中へ入り込むと、人気というものはおかしなもので、ついには我も我もと先を争って切符を買うような景気になって、門内へなだれ込みます。
 さすがに鰡八大尽のすることは、こんな些細なことまでも違ったものであります。道庵などは、貧乏人のくせに身銭《みぜに》を切って馬鹿囃子を雇い、家業をそっちのけにして騒いでいるのに、大尽は大評判を立てた上に、こんなことでも充分に算盤《そろばん》を取れるようにするのだから、どのみち相撲にはなりませんでした。しかし、これは鰡八が豪《えら》いというよりも、お附の作者や狂言方の仕組みが上手なので、それがために一段と、大尽の器量を上げたと言った方がいいのかも知れません。
 この園遊会も、余興も、朝鮮芝居も、ことごとく大成功でありました。その日一日でおしまいというわけではなく、当分の間、毎日つづくのであります。市中一般においては、これを見なければ話にならないから、毎日毎日、続々と詰めかけて来ました。日のべを打てば打つほど儲《もう》かった上に評判が高いのでありますから、鰡八の御機嫌も斜めではないし、お出入りの人々も恐悦に感ずるし、作者や狂言方のお覚えも結構なものであります。
 ここに哀れをとどめたのは道庵先生で、せっかく図に当った馬鹿囃子は、この園遊会と朝鮮芝居のために、すっかり圧《お》されてしまいました。隣からは毎日毎日、この景気で見せつけられているのに、もう馬鹿囃子でもなし、そうかと言って、それに対抗するには上野の山内でも借受けて、和蘭芝居《オランダしばい》の大一座でも買い込んで来なければ追附かないのであります。それは先生の資力では、トテも追附かないことであります。
 道庵はそれがために苦心惨憺しました。自分の知恵に余って、子分の者を呼び集めて評定《ひょうじょう》を開いてみましたけれど、いずれ、道庵の子分になるくらいのものだから、資力においても知恵袋においても、そんなに芳《かんば》しいものばかりありませんでしょう。
 いよいよ大尽にぶっつかる手術《てだて》がなければ最後の手段は、先生が口癖に言う毒を飲ませることのみだが、口にこそ言うけれど、この先生は毒を飲ませて人を殺すような、そんな毒のある人間ではありません。

         二

 ここにまた、前に見えた「貧窮組」のことについて一言しなければならなくな
前へ 次へ
全86ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング