勢は大したものだ、すばらしい御馳走をした上に、日本の土地では見ることのできない朝鮮芝居を見せてくれるそうだ、鰡八大尽でなければできない芸当だ、さすがにすることが大きい」
 江戸市中はこの評判で持ち切ってしまいました。道庵の馬鹿囃子などはこの人気に比べると、お月様に蛍のようなものであります。道庵も少しばかり悄気《しょげ》てきました。これは馬鹿囃子だけでは追付かない、何かほかに一思案と思っているうちに、大尽《だいじん》の屋敷の園遊会の当日となりました。
 江戸市中の見物は、我も我もと押しかけて来ましたけれど、大尽の妾宅の門まで来て見ると、急に二の足を踏んでしまいました。
 それは園遊会も、朝鮮芝居も、無料《ただ》で接待するものとばかり思っていたら、目玉の飛び出るほど高い場代を徴集するのでありますから、それで集まったものが、あっと二の足を踏みました。
 あれほど吹聴したり、評判を立てさせたりしたものだから、無料《ただ》で入れて無料で見せるのだろうと思ったら、目玉の飛び出るほどの場代を取るというのだから、集まって来た人が門の前で二の足を踏みました。
「ばかにしてやがら、大尽がどうしたと言うんだい、鰡八がどうしたんだい」
と言って悪態《あくたい》をつくものもありました。しかしそれは、悪態をつく方が間違っているのであります。大尽だからと言って、この広大な園遊会を開き、それから非常な高給を払って朝鮮役者を招くからには、そのくらいの場代を取ることは、少しも無理はないのであります。無理はないのみならず、日本ではほとんど見ることができないと言われた朝鮮芝居を、こうしてそのまま持って来て、居ながらにして見せてくれるということは、並大抵の興行師などではできないことであります。それですから見物は、大尽の威勢と恩恵とに感涙を流して、場代を払わなければならないのであります。それを無料《ただ》見ようなどというのはいかにもさもしいことであります。
 しかし、江戸っ児にも、そうさもしいものばかりはありませんでした。場代が高いと言ってしりごみをして、この珍しいものを見ないで帰るのは、たしかに江戸っ児の沽券《こけん》に触《さわ》ると力《りき》み出すものが多くありました。江戸っ児の腹を見られて朝鮮人に笑われても詰らねえと、国際的に気前を見せる者もありました。それがために、いったん二の足を踏みかけた見物が、み
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