多数に憎まれながら、こう言って見得《みえ》を切りました。
「ともかくも、ああして置くのは惜しいものじゃ」
 こうして、お君のことがこの家に集まる若い浪士たちの噂に上ってゆきました。
 しかし、それだけでは納まることができなくなった時分に、これらの連中のなかでも剽軽《ひょうきん》な一人が犠牲となって――この男ならば、たとえ言い損ねても老女から叱られる分量が少ないだろうと、総てから推薦された一人が、ある時、老女に向って思い切ってそれを尋ねてみました。
「時に、つかぬことをお聞き申すようだが、あの奥にござるあの若い婦人は、あれはいったい主のある婦人でござるか、但しは主のない婦人でござるか……」
 額の汗を拭きながらこういうと、老女は果して、厳《いか》めしい面《かお》をして黙ってその男の面を見つめておりました。
 せっかく切り出したけれども、こう老女に黙って面を見られると、二の句が継ぎ難く、しどろもどろであります。
「それがどうしたというのでございます」
 老女は意地悪く突っ込みました。
「それがその、僕が一同を代表して……」
 一同を代表してはよけいなことであります。せっかく自分が犠牲者として一同から推薦され、自分もまた甘んじて犠牲になる覚悟で切り出しておきながら、老女に炙《あぶ》られて脆《もろ》くも毒を吐いてしまって、罪を一同へ塗りつけたのは甚だみにくい態度でありました。
「一同とはどなたでございます」
「一同とは拙者一同」
「何でございます、それは」
 苦しがってその男は、脂汗《あぶらあせ》をジリジリと流しました。
「その一同によくそうおっしゃい、女房が御所望ならば、三千石の身分になってからのこと」
「なるほど」
 なるほどといったのは何の意味であったか自分もわからずに、恐れ入ってその男は退却して、一同のところへ逃げ込みました。
 いわゆる、一同の連中は、逃げ返ったその男を捉まえてさんざんに小突き廻しました。
 一同を代表してというのは武士としていかにも腑甲斐ない言い分であるというので、詰腹《つめばら》を切らせる代りに、自腹《じばら》を切って茶菓子を奢《おご》らせられ、その上、自分がその使に行かねばならなくなりました。
 しかし一方にはまた、老女の言い分に対して、不満を懐《いだ》くものもないではありません。女房が所望ならば、三千石の身分になってからというのは、我々に対
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