して聞えぬ一言であるという者もあります。老女の言葉の裏には、我々を三千石以下と見ているものらしい。不肖《ふしょう》ながら我々、未来の大望《たいもう》を抱いて国を去って奔走する目的は、三千や一万のところにあるのではない。それを承知で我々を世話して置くはずの老女の口から、なれるものなら三千石になってみろと言わぬばかりの言い分は、心外であると論ずる者もありました。
「ナニ、そういうつもりで老女殿が三千石と言ったのではあるまい、何か他に意味があることであろう」
と言いなだめる者もありました。
 三千石の意味の不徹底であったところから議論が沸騰して、それからお君のことを呼ぶのに三千石の美人と呼ぶように、この一座で誰が呼びはじめたともなく、そういうことになりました。
 三千石の美人。こうして半ば無邪気な閑話の材料となっている間はよいけれど、もし、これらの血の気の多い者共のうちに、真剣に思いをかける者が出来たら危険でないこともあるまい。老女の睨《にら》みが利いていて、食客連が相当の体面を重んじている間はよいけれど、それを蹂躙《じゅうりん》して悔いないほどの無法者が現われた時は、やはり危険でないという限りはありますまい。

 それから二三日して、お松は暇をもらって、相当の土産物などを調《ととの》えたりなどして、長者町に道庵先生を訪れました。
 その時分には、先日の手錠も満期になって、手ばなしで酒を飲んでいましたが、話が米友のことになると、道庵が言うには、あの野郎は変な野郎で、ついこのごろ、薬を買いにやったところが、その代金を途中で落したとか取られたとか言って、ひどく悄気《しょげ》て来たから、そんなに力を落すには及ばねえと言って叱りもしないのに、気の毒がって出て行ってしまった。さあ、その行先は、よく聞いておかなかったが、なんでも本所の鐘撞堂《かねつきどう》とか言っていたようだ、と言いました。
 米友の行方《ゆくえ》を道庵先生が知っているだろうと、それを恃《たの》みに訪ねて来たお松は、せっかくのことに失望しましたけれど、なお近いうちには便りがあるだろうと言われて、いくらか安心して帰途に就きました。お松が、道庵先生の屋敷の門を出ようとすると出会頭《であいがしら》に、
「おや、お松じゃないか」
「伯母さん」
 悪い人に会ってしまいました。これはお松のためには唯一の伯母のお滝でありました。た
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