った米友の心持が、ようやくじりじりと呪《のろ》われてゆくことは、米友にとって重大なる不幸であると共に、斯様《かよう》な単純な男を一途《いちず》に呪いの道へ走らせることは、その恨みを受けた者にとっては、かなりに危険なことでありました。
米友はそこに突立って唸り、歯がみをして独言《ひとりごと》を言って、通る人を不思議がらせ、ついにその周囲へ一人立ち二人立つような有様になった時に気がついて、
「覚えてやがれ」
歯を食いしばったままで、サッサと人混みを通り抜けて、他目《わきめ》もふらずに両国橋を渡って行く挙動は、おかしいというよりは、確かにものすさまじい挙動でありました。
「何だあいつは」
通りすがる人が、みな振返って米友の後ろを見送るほどに、穏かならぬ歩きぶりであります。
十一
両国橋を渡りきった米友は、回向院《えこういん》に突き当って右へ廻って竪川通《たてかわどお》りへ出ました。それからいくらもない相生町の河岸《かし》を二丁目の所、例の箱惣の家の前まで来て見ると、どうやらその頃とは様子が変っているようであります。
あの時は祟《たた》りがあるの、お化けが出るのと言って誰も住人《すみて》の無かったものが、今は立派に人が住んでいるらしくあります。それも商人向きの造作が直されて、誰か然るべき身分の者の別邸かなにかのような住居になっていました。そのほかには、あんまり変ったこともないから米友は、その家の前を素通りをして行ってしまおうとすると、
「あ、おじさんが来たよ、槍の上手なおじさんが来たよ」
バラバラと米友の周囲《まわり》に集《たか》って来たのは、河岸に遊んでいた子供連であります。これは米友がここに留守居をしていた時分の馴染《なじみ》の子供連であります。留守番をしている時分には、米友の周囲がこれらの子供連の倶楽部《くらぶ》になったものであります。子供連は思いがけなくも米友の姿をここに見出したものだから、ワイワイと集まって来て、
「おじさん、槍の上手なおじさん、どこへ行ったの」
「うむ、俺《おい》らは旅をして来たんだ」
「ずいぶん長かったね、ナゼもっと早く帰らなかったの」
「向うで忙がしかったんだ」
「もう御用が済んだのかい、またおじさん遊ぼうよ」
「うむ」
「おじさんがいる時分にはね、みんなしてこの家の中へ入って遊んだんだけれど、今は誰も入れな
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