して、この男に挨拶を返しました。
「お前さんは、この峠をお通りなさるのは初めてでござんすべえ」
と間抜けた男がニコニコしながら、米友にこう言いました。
「ああ、初めてだよ」
「だからお前さん、猿におどかされなすったのだ」
「ほんに憎い畜生よ」
米友の余憤は容易に去らないのであります。
「何か猿が悪戯《いたずら》をしましたかね」
「俺《おい》らがここに置いた、胡麻《ごま》のついた握飯《むすび》を盗んで行きやがった」
「それをお前さんが調戯《からか》いなすったんでございましょう。だから猿がああして、仲間をつれて来て嚇《おどか》すんでございますよ」
「人をばかにしてやがる」
「ナーニ、猿だってそんなに悪い者じゃありましねえよ」
この男は、なにげなき体《てい》でニコニコしていることが、米友には幾分か癪にさわらないではありません。この米友をさえ怖れなかった猿どもが、この間抜けた男が来たために逃げ出したとすれば、米友の沽券《こけん》にかかわらないという限りはない。米友は自分の実力でこの猿どもを懲らすことができないで、外来の人から追っ払ってもらって、それでようやく危急を逃《のが》れたというように
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