を寵愛《ちょうあい》して、妻妾《さいしょう》の位に置くものがあるとやら」
「ははは、何事かと思えば家庭の一小事、そのようなことはこの席に持ち出すべきものでござるまい」
と言って駒井能登守は、笑ってその言いがかりを打消そうとしましたが、神尾主膳は冷笑を以てそれに酬《むく》いました。
「その人にとっては家庭の一小事か知らねど、武士の体面よりすれば、なかなか一小事ではござらぬ。いかにおのおの方に承りたい、たとえば旗本の身分の者が、仮りにほいと[#「ほいと」に傍点]賤人の女を取って妻妾となし、それにうつつを抜かして世の人に後ろ指ささるるようなことがあらば、それが家庭の一小事で済まされようや、また左様な人物が上に立つ時に、いかで下々《しもじも》の侮りがなくて済もうや、これが一大事でなければ、もはや武士とほいと[#「ほいと」に傍点]賤人との区別はない、士風の根本が崩れ申す」
神尾主膳は、駒井能登守の面《おもて》を見つめました。「これでもか」という表情と冷笑と、それから勝ち誇ったような下劣な得意とを満面に漲《みなぎ》らせていました。
列席の者は、神尾の言い分の道理あるやなきやの問題ではなく、その
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