ず和尚は、兵馬の苦心や覚悟に少しの同情の色をも表わすことをしませんで、寧《むし》ろ冷笑のような語気であります。
「誰の身になっても同じことよ、わしは敵討をするひまがあれば昼寝をする」
「しからば和尚には、親を討たれ、兄弟を討たれても、無念とも残念とも思召《おぼしめ》されないか」
「そんなことは討たれてみなけりゃわからぬわい、その時の場合によって、無念とも思い、残念とも思い、どうもこれ仕方がないとも思うだろう」
「言語道断《ごんごどうだん》」
 兵馬はこの坊主を相手にしても仕方がないと思いました。仕方がないとは思ったけれども、多年の鬱憤《うっぷん》と苦心とを、こんなに露骨に冷笑されてしまったのは初めてのことでありました。それだから、その心中は決して平らかではありません。
 和尚の言葉は、敵討そのものを嘲《あざけ》るのではなくて、寧ろいつまでもこうして、本望《ほんもう》を達することのできない自分の腑甲斐《ふがい》なさを嘲るために、こう言ったものだろうと思われるのです。
 そう思ってみると、嘲らるるのも詮《せん》ないことかと我自ら情けなくなるのであります。それと共に、過ぎにし恨みや辛いことが
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