あります。
 けれども、その亭主らしいのが幾日も帰っては来ないうちに、帳場へ懇意になり、主人の庄右衛門とも心安くなりました。
 そうしているうちに番頭が病気になると、この女が帳場へ坐り込みました。帳場へ坐り込んだと言ったところで、主人を籠絡《ろうらく》したり、番頭を押しのけて坐り込んだわけではなく、自分の暇つぶしに懇意ずくで、手助けをしてやるような調子で働いてやっていました。
 ところがこの女は、人を遣《つか》うことが上手、客を扱うことに慣れきっていました。その技倆から言えば、前の番頭などは比較になるものではありません。このくらいの宿屋を三ツ四ツ預けたとて、物の数とも思わないくらいの冴《さ》えた腕を持っているように見えましたから、主人は舌を捲いていました。雇人たちは喜んでそれに使われるようになりました。それに、番頭の病気が捗々《はかばか》しくなくて湯治《とうじ》に出かけるというほどであったから、そのあとを主人も頼むようにし、当人も退屈まぎれの気になって、この女が今では、ほとんどこの店を預かっているのであります。この女というのは、別人ではなく――両国で女軽業師の親方をしていたお角でありま
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