るのに、内においてのこの殿様はたあいないもので、ほとんど終日お君の傍を離れぬことがありました。お君はその誘惑のあらん限りを尽して、能登守を放そうとはしませんでした。
世に食物を貪《むさぼ》るもので、惑溺の恋より甚だしいものはありません。無限の愛情を注がれても、お君はまだまだ満足したとは思いませんでした。能登守は、噛《か》んで、喰い裂いて、飲んでしまっても、まだ足りないほどにお君が可愛くて可愛くて、どうにもならなくなってしまいました。
この際において、お君の心の中のいずこにも、宇治山田の米友を考えている余裕はありません。
お君――ではない、お君の方《かた》であります。けれども昨日までのお君を急に、お君の方に改めることは、屋敷のうちの格式ではよしそうであっても、なんとなくきまりが悪い。お君もまたその当座は、自分のことでないように思います。
お君の方は今、その花やかな打掛の姿で、片手には銚子《ちょうし》を持って廊下を渡って行きました。少しばかり酔うているのか、その面《かお》は桜色にほのめいているばかりでなく、廊下を走るあしもとまでが乱れがちでありました。
廊下の庭から梅の枝ぶりの面
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