幸内に逃げられたのは、拙者の落度《おちど》じゃ。あれに逃げられては企《たくら》んだ狂言がフイになり、その上に拙者の身が危ないから、それで拙者は苦心を重ねてあれの行方《ゆくえ》を調べた上に、とうとうお銀どの、お前の屋敷に寝ているのを見届けた。それは、そなたが屋敷を脱け出してこっちへ来たと同じ晩、あの晩に拙者は、忍んで行って、そなたが屋敷を脱け出したあとへ忍び入り、そして幸内が息の根を止めて来た……」
「エ、エ、エ!」
「はははは、その帰りにも、そなたに怪我《けが》のないように、有野村から後をつけて来たのを、そなたは知るまい」
「それでは、あの晩に、あれからああして」
「はははは」
 主膳の酒乱が頂点にのぼった時でありました。よしこれほど惨酷《さんこく》な男であっても、酔ってさえいなければ、これほどのことを高言するでもなかろうけれど、今はこうして言えば言うほど、自分ながら快味が増すのかと思われるばかりであります。
 お銀様の口から、唇を噛み切った血がにじむのに拘《かかわ》らず、神尾主膳は高笑いして、
「さあ、これから幸内が身代りに、お銀どの、そなたが狂言の玉じゃ、幸内に飲ませたと同じ酒をそ
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