膳は三たび大盃を上げて、心地《ここち》よくその一杯を傾け尽しました。
「あ、あ」
とお銀様は面を屹《きっ》と上げて、その釣り上った眼で神尾主膳を睨《にら》みました。
「うむ、それからまた、幸内めを種に使って一狂言を組もうと思うて、縄でからげてこの屋敷へ隠して置いたが、手ぬかりでツイ逃げられた」
「あああ、知らなかった、知らなかった。そんならこの刀を奪い取るために、幸内に毒を飲ませてあんなにしたのは、神尾様、お前様の仕業《しわざ》か」
「それそれ」
「鬼か、蛇《じゃ》か。人間としてようもようも、そんなことが……」
「まあ、お聞きやれ、そればかりではないわい」
「幸内の敵《かたき》!」
 お銀様は神尾主膳に武者振《むしゃぶ》りつきました。けれどもそれは、やはりお銀様の逆上のあまりで、かえって主膳のために荒らかに組敷かれてしまったのはぜひもありません。
 酔ってこそいたれ、神尾主膳もまた刀を差す身でありました。お銀様が武者振りついたとて、それでどうにもなるものではありません。
 お銀様を片手で膝の下へ組敷いた神尾主膳は、落着いたもので、
「逸《はや》まるな逸まるな、この屋敷へ隠して置いたその
前へ 次へ
全207ページ中52ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング