ません。
 お銀様はその子供の泣き声が気になって仕方がありません。
 穴切明神を後ろにして武家屋敷の方へ向って行きますと、そこで絶え入るような子供の泣き声が足許から聞えるのでありました。
「おや、棄児《すてご》か知ら」
 お銀様は、まさに近い所の路傍の闇に子供が一人、地面《じべた》へ抛《ほう》り出されて泣いているのを認めました。
「かわいそうに棄児……」
 お銀様はその子供の傍へ駈け寄りました。棄児としてもこれはあまり慈悲のない棄児でありました。籠へ入れてあるでもなければ、玩具《おもちゃ》一つ持たせておくでもありません。裸体《はだか》にしないだけがお情けで、ただ道の傍《はた》へ抛り出されたままの棄児でありました。
「おお、こんなことをしておけば凍死《こごえし》んでしまう、なんという無慈悲なこと、なんという情けない親」
 お銀様は直ぐにその子を抱き上げました。咽《むせ》び入《い》るようなこの子は抱き上げられて、いじらしくもお銀様の胸へぴったりと面《かお》を寄せて、その乳を求めながら、欷歔《なきじゃ》くっているのであります。
「お乳が無くて悪かったね、いい坊やだから泣いてはいけません」
 
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