。
しかし、それを離れて後ろから跟《つ》いて行く神尾主膳の姿などを想像にも思い浮べることのなかったのは、幸いとは言えません。
ようやく甲府の町へ入ろうとする時分に辻番がありました。荒川を渡って元の陣屋跡のところに、このごろ臨時に辻番が設けられました。
「これこれ、どこへ行かっしゃる」
辻番の中で六尺棒を持った屈強な足軽が、通りかかるお銀様を呼び留めました。
「はい」
と言ってお銀様はたちどまりました。
「待たっしゃい」
辻番は、お銀様の頭巾の上から足の爪先まで見据えていましたが、
「見れば女子《おなご》の一人道、どちらからおいででござる」
「有野村から参りました」
「有野村は何の何某《なにがし》という者でござる」
「はい……藤原の伊太夫の家から……召使の君と申しまする」
「有野村の藤原家の召使? それが一人でこの夜分」
「主人の内密《ないしょ》の使でよんどころなく……こんなに遅くなりました」
「はて、そうしてどこへ行かっしゃるのじゃ」
「それは……御城内の神尾主膳様のお屋敷まで」
お銀様は、ここで二つのこしらえごとを言ってしまいました。自分がお君の名を仮《か》りたことと、神尾
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