。その手先へ鬼蜘蛛《おにぐも》のような血の塊《かたまり》がポタリポタリと落ちている。
「ああ鼻血か」
主膳は、仰向いて、その手を加減しながら自分の懐中《ふところ》へ入れて畳紙《たとう》を取り出して面に当てました。いま主膳を驚かしたその血の塊は、外《よそ》から出たのではありません、自分の鼻から出た鼻血でありました。けれども紙で拭いたその血を行燈の光で見ると夥《おびただ》しいもので、黒く固まってドロドロして、しかもそれが一帖の畳紙《たとう》を打通《ぶっとお》して染《し》みるほどに押出して、まだ止まらないのです。
神尾主膳は、そのあまりに仰山な鼻血の出様に、自分ながら怖くなったようでありました。鼻血を抑えながら、あたりを始末して以前の戸口からこの座敷を脱《ぬ》け出しました。
二
お銀様がこの夜中に家を脱け出したのは、あまりと言えば無謀です。けれどもそれが無謀だか有謀だかわかるくらいならば、家を脱け出すようなことはしますまい。ともかくも、こうしてお銀様は無事に屋敷を脱け出し、有野村を離れて甲府をさして闇の中をヒタ歩きに歩きました。その途中、無事であったことは幸いです
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