行ってしまいます」
 お銀様は、やはり歯噛みをしながらこう言って幸内の寝面《ねがお》をのぞいていましたが、すぐに立って箪笥《たんす》をあけました。それで、あわただしい身ごしらえをはじめたところを見ると、この娘はほんとうにたった今この家を出かけるつもりでしょう。帯の間へは例の通り懐剣を挟みました。そうして小抽斗《こひきだし》から幾つかの小判の包みを取り出して、無雑作に懐中へ入れました。それからまた例の頭巾《ずきん》を被《かぶ》りました。
「いいかえ、わたしはこれから甲府へ行って、お前を引取るような家を探して直ぐにまた迎えに来るから、それまで一人で待っておいで。ナニ、お父様がかまってくれなくても、二年や三年お前と一緒に暮らして行くだけのお金は、わたしが持っているから心配することはない」
 お銀様の手足が慄《ふる》えているために、懐中へ入れた小判の包みをバタバタと取落して、それをまた懐中へ拾い込み、それがまた懐中からこぼれるのを、お銀様は慄える手先で拾って、狂人が物を口走るように独言《ひとりごと》を言いました。
「まあ、ずいぶんお前|月代《さかやき》が生えているね。もしよそへ行く時に、それで
前へ 次へ
全207ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング