け神尾に斬られるのでは、死んでも死にきれないと、ただそれだけが一念でありましょう。
「どうするつもりじゃ」
それは竜之助の声でありました。例によって冷たい声でありました。どうするつもりじゃ、と言ったのは、それは刀を提げて立っている神尾主膳に尋ねたのか、それとも自分にかじりついているお銀様の挙動をたしなめたのか、どちらかわからない言いぶりでありました。聞き様によっては、どちらにも聞き取れる言いぶりでありました。
「ははははは」
酒乱の神尾主膳は、またも声高らかに笑って、
「脅《おどか》してみたのじゃ」
「悪い癖だ」
竜之助はそれより起き上ろうともしませんでした。神尾主膳もまた一歩もこの部屋の中へは足を入れないで、突っ立ったなりでニヤニヤと笑っていましたが、
「はははは」
高笑いして、足許もしどろもどろに廊下を引返して行くのであります。
その足音を聞いていた机竜之助が、
「あの男は、あれは酒乱じゃ」
と言いました。
「有難う存じまする、有難う存じまする、あなた様のおかげで危ないところを……」
お銀様は、ただ無意識にお礼を繰返すことのみを知っておりました。
「お前様は?」
「はい、わたくしは……」
と言ってお銀様は、竜之助の面《かお》を見ることができました。けれども、わざと眼を塞《ふさ》いでいるこの人の物静かなのを見ただけでありました。お銀様は、その時に、はっと思って自分の姿の浅ましく乱れていることに気がつかないわけにはゆきませんでした。髪も乱れているし、着物も乱れているし、恥かしい肌も現《あらわ》になっているものを。
それを見まいがために、この人は、わざと眼を塞いでいるのではないかと思われました。
お銀様は、あわてて自分の身を掻《か》いつくろいましたけれど、それでもなお何かの恥かしさに堪えられないようでした。
お銀様も、さすがに若い女であります。この怖れと、怒りと、驚きとの中にあって、なお自分の姿と貌《かたち》の取乱したのを恥かしく思うの余地がありました。
それから、髪の毛を撫で上げました。着物の褄《つま》を合せました。
それを見て見ぬふりをしているこの人は、神尾主膳とは違って奥床しいところのある人だと思わせられる心持になりました。
前へ廻って、しとやかに両手を突きました。
「どうぞ、わたくしをお逃がし下さいまし、お願いでございまする」
その声はしおらしいものでありました。起き直ったけれども、やはり炬燵にあたっていた机竜之助は、その声を聞いてもまだ眼を開くことをしません。
「どうぞ、このままわたくしをお逃がし下さいませ」
お銀様は折返して、机竜之助の前に助命の願いをしました。けれども竜之助は、やはり眼を開くことをしないし、また一言の返事をも与えないのでありました。それでもお銀様の言葉には、ようく耳を傾けているには違いありません。
「ああ、わたくしは一刻もこの家にこうしてはおられぬのでござりまする、神尾主膳は悪人でござりまする、こうしておれば、わたくしは幸内と同じように殺されてしまうのでござりまする、あなた様はどういうお方か存じませぬが、どうかこのままお逃がし下さいまし、一生のお願いでござりまする」
お銀様は竜之助に歎願のあまり、伏し拝むのでありました。けれども竜之助は、眼を開いてその可憐な姿を見ようともしなければ、口を開いて、逃げろとも助けるとも言いませんでした。ただお銀様の一語一語を聞いているうちに、その面《おもて》にみるみる沈痛の色が漲《みなぎ》り渡るのみでありました。
「それでは、わたくしはこのまま御免を蒙りまする、いずれまた人を御挨拶に遣《つか》わしまする」
お銀様は愴惶《そうこう》としてこの部屋を立って行こうとした時に、竜之助がはじめて、
「お待ちなさい」
と言いました。
「はい」
お銀様は立ち止まりました。
「これからどこへおいでなさろうというのです」
「はい、有野村まで」
「有野村へ?……外は近来《ちかごろ》の大雪であるらしいのに」
「雪が降りましょうとも雨が降りましょうとも、わたくしは帰らずにはおられませぬ」
「外は雪である上に、駕籠《かご》も乗物もここにはあるまい」
「そんな物はどうでもよろしうござりまする、わたくしは逃げなければなりませぬ、帰らなければなりませぬ」
「駕籠も乗物もないのに、外へ出れば人通りもあるまい、道で吹雪《ふぶき》に打たれて凍《こご》えて死ぬ……」
「たとえ凍えて死にましても、わたくしは……」
「そりゃ無分別」
「ああ、思慮も分別も、わたくしにはわかりませぬ、こうしておられませぬ、こうしてはおられませぬわいな」
「待てと申すに」
竜之助の声は、寒水が磐《いわお》の上を走るような声でありました。お銀様はゾッとして立ち竦《すく》んでしまいました。見ればこの人は
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