たいことというのは、あの、お前さん、ここのお屋敷にお客様がおありでしょうね」
「お客様?」
「え、え」
「そりゃ、これだけのお屋敷だからお客様もあるだろうさ」
「いいえ、そのお客様というのはね、人に知れては悪いお客様なのよ」
「はははは」
米友は苦笑《にがわら》いして、
「人に知れて悪いお客様なら、俺《おい》らにも知れようはずがなし、お嬢さん、お前にだって知れるはずがなかろうじゃねえか」
「それでも、わたしにはよく知れているのよ」
「知れてるなら、俺らに聞かなくってもいいじゃねえか」
「米友さん、お前さんは相変らず理窟を言うからいけません」
「だって」
「そのお客様はお前……牢から出た人なのよ」
お松が四辺《あたり》に気を置いて小声で言うと、
「エ、エ?」
米友が、やや狼狽《うろた》えました。
「そのお客様が……」
「知らねえ、俺《おい》らは知らねえ」
米友は首を左右に振りました。
「知らないたってお前、わたしにはよくわかっているのだから、隠しても仕方がないのよ、牢から出たお客様が三人ほど、たしかにこのお屋敷に隠れているはず」
「エ、エ?」
米友はお松の面《かお》をじっと見ました。
「米友さん、これはわたしのほかには誰も知っている人はないのだから、心配しないように。そうしてその三人の中で、いちばん若い方に、これを差上げていただきたいの」
「何だ、それは」
「お薬」
「薬がどうしたんだ」
「どうか、これをお前さんの手から、その若いお方に差上げて下さい、頼みます」
「う――む」
と言った米友は、腕を拱《こまぬ》いて考え込んでしまいました。
「それからね、米友さん、いつでもいいからそのお方に、わたしを一度会わせて下さいな、そっと、誰にも知れないように、わたしのところへ言伝《ことづて》をして下さいな」
「う――む」
「後生《ごしょう》だから頼みますよ、その代り、わたしはまたお前さんの頼みなら何でもして上げますから」
「う――む」
「米友さん、お前さんは、うんうんと言っているけれど、承知してくれたのかえ、承知してくれないのかえ」
「う――む」
「後生だから」
「お嬢さん、俺らはほんとに知らねえんだ、このお屋敷に、どんなお客様が来ているか知らねえのだけれど……お前さんにそう言われてみると、ちっとばかり心当りがねえでもねえんだよ。よし、頼まれてやろう」
「有難う、拝みま
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