にと思いました。
 こうして暫らく山路を進んで行くうちに、
「その駕籠、待たっしゃい」
という声で、山路の静寂が破られました。「待たっしゃい」という声は、少なくとも士分にゆかりのある者でなければ、掛けられない声でありましたから、さては向うから進んで来た侍の何者かによって、その駕籠の棒鼻が押えられたものだろうと兵馬は、またそこに止まってなりゆきを見ていました。
「八幡村の小泉家から、今日の流鏑馬を御見物の客人二人、ぜひにお泊め申そうとしたのを、どうあっても今夜中に帰らねばならぬ用向きがござるそうな、それ故に夜分を厭《いと》わずこうやってお送り申す、どうかこのままで失礼を」
「いやもう御遠慮なく。今日の騒ぎと言い、近頃はどうも世間が落着かない故に、我々も毎晩こうしてこの山路を宵のうち一度ずつお役目に廻るのでござる。左様ならばお大切に」
 双方でこんなことを言い合って、疑念も蟠《わだか》まりもサラリと解けて、そのまま駕籠は前へ進んで行き、こっちへ来る人影は、提灯もなにも持たないけれど、三人ほどに見えました。
 兵馬は木蔭からそれをもやり過ごすと、それからの山路はまた静かなものになってしまいました。提灯も駕籠も附添のものも、何も言いません。
 山路のつれづれに駕籠の中にいる人は、何とかお愛嬌《あいきょう》に、外の人に言葉をかけてもよかろうにと思われるくらいであります。附添の人もまた何か話し出して、駕籠の中の人の無愛想を助けてやればよいにと思われるくらいでありました。
 五里の山路がこうして尽きて、駕籠は八幡村へ入りました。江曾原《えそはら》へ着くと、著《いちじる》しく眼につく門構えと、土の塀と、境内《けいだい》の森と竹藪《たけやぶ》と、往来からは引込んでいるけれども、そこへ入る一筋路。
 二挺の駕籠はその屋敷へ入って行きました。その屋敷こそ、兵馬には忘るることのできない嫂《あによめ》のお浜が生れた故郷の家なのです。
 兵馬はそれを側目《わきめ》に見ただけで、その夜のうちに恵林寺まで急がねばなりません。

 恵林寺へ行く宇津木兵馬と前後して、八幡村の小泉家へ入った駕籠の後ろのは机竜之助でありました。その前のはお銀様でありました。それを兵馬がそれとは知らずに送って来たことも、計らぬ因縁《いんねん》でありました。机竜之助とお銀様とが、こうして相結ばれたことも、計らぬ因縁でありまし
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