ほどなく自分の隠れている眼の前へ来た提灯は、初めに兵馬が見つけた時も、ただ提灯だけで人声がしませんでしたけれど、いま眼の前を通り過ぎる時も、やはり話の声がしないで甚だ静かなものであります。
 淋しい山路を人数《にんず》の勢いで通る時などは、つとめて大きな声で話をして景気をつけるのがあたりまえであります。ことにお祭の帰りであってみれば、盛んに土地訛《とちなまり》の若い衆の声などが聞えなければならないはずなのを、提灯の数が三つもあるのに、さりとはあまりに静かな――と兵馬を不審がらせるほどに静かな一行であります。
 いよいよ前へ来た時に、木蔭から覗《のぞ》いて見れば、それは全体が人ではなく、二挺の駕籠の廻りは数人の人で、その前後は三個の提灯でありました。
 ははあ、これはお祭の帰りではない、婚礼かとも思いました。婚礼にしては、あんまり粛《しめ》やかに過ぎる。さては病人を甲府の町へ連れて行ってその帰りであろうと兵馬は、そうも思って見ているうちに、ふと提灯のしるしに眼がとまりました。
 前に下《さが》り藤《ふじ》の紋が大きく書いてありました。下り藤は自分の家と同じ紋であるから兵馬は、なんの気なしにそれを見ると、その下に小泉と記してありました。はっと思ってその裏を見ると「八幡《やわた》村」という文字が弓張の蔭になっています。
 八幡村で小泉といえば、わが嫂《あによめ》の実家ではないか。嫂とは誰、一時は兄文之丞の妻であったお浜のこと――ああ、その駕籠《かご》の中の主《ぬし》は誰人。兵馬はそれがために胸を打たれました。
 お浜は死んでしまったけれども、その母なる人も、兄なる人も、兄の嫁なる人も、その夫婦の間に出来た子供までも兵馬は知っているのであります。
 裏街道を越えてその家まで遊びに来た昔の記憶も残れば、ことに嫂のお浜が、自分の来ることを喜んで、手ずから柿の実などを折ってくれた優しいことの思い出も、忘れようとして忘れられません。あまりの懐かしさに兵馬は、あと追蒐《おいか》けて名乗りかけようかと思いました。
 けれども、今の兵馬の身ではそれも遠慮をしなければなりません。ぜひなく兵馬はいろいろの空想に駆られながら、その駕籠の後ろを追うて同じ方向へと進んで行きました。
 駕籠も提灯も相変らず物を言いません。何か話でも起ったならば、その駕籠の中なる人が、おおよそ見当がつくのであろう
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