示すのであります。

 それで侍たちは合点《がてん》がいったものの、群集はそんなことはわからないで、屋根の上の裸虫のところへ、新たに旅人体の笠に合羽の男が一枚駈けつけるから、それは敵か味方かと片唾《かたず》を飲んでいるまもなく、大屋根まで駈けつけた右の男は、いきなり群がる裸虫を片端から突き落しはじめました。
「それそれ、面白いぞ、手んぼう[#「手んぼう」に傍点]の方へ加勢が出た」
 その加勢は幸いに無勢《ぶぜい》の方へ出たのだから、見物を嬉しがらせました。一人でさえ、かなりの振舞をしているところへ、また一人、同じように身の軽いのが飛び出したから、見物は大喜びでありました。
 しかし、二人になってみると、もう大向うを喜ばせるような派手《はで》な芸がしていられなくなったものか、無茶苦茶に裸虫を突き落すように見せて、不意に屋根のうしろへ隠れてしまいました。
「それ飛んだ飛んだ、屋根から飛び下りたぞ」
という声が桟敷の裏の方から起りました。なるほど、表から見て屋根のうしろへ隠れたと見た時は、二人は相ついで高いところから僅かの地面へ軽く飛び下りてしまっています。
「そうれ、逃がすな」
 裸虫どもは続いて飛び下りる、取巻いていた群集は道を開く。
「こうなりゃこっちのものだ、芋虫ども、ならば手柄に追蒐《おっか》けてみやがれ」
 群集がパッと散って開いてくれた道を、笠に合羽の旅人体と、裸体に脚絆のがんりき[#「がんりき」に傍点]とが疾風《はやて》の如く駈け抜ける足の早いこと。
 二人は街道、人家、畑の中を区別なく北を指して駈けて行く。それを追蒐ける裸虫も弥次馬も、要するに二人の逃げて行く逃げっぷりに比べると、芋虫のようなものです。

         十五

 その夕べ、能登守の邸から、能登守の定紋《じょうもん》をつけた提灯《ちょうちん》と、お供揃いとがあって、一挺の乗物が出ました。主人の殿様が公用でどちらへかおいでになるのだろうと、門番の人はみんなそう思っていました。
 けれども、この乗物はお役宅へも行かず、御城内へも入らず、お代官のお陣屋へでもおいでになるのかと思えばそうでもありません。長禅寺まで来てこの一行が止まったから、さては何か不意の御用があって、このお寺へ御参詣のことと思われました。長禅寺は甲州では恵林寺《えりんじ》に次ぐの関山派《かんざんは》の大寺であります。ここに能
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