の裸虫は、おたがいにとって勝手でもあり不勝手でもありました。捉《つか》まえどころのないことは、敵にとって利益であれば、味方にとっても同じく利益であるように、味方にとって不利益な時は、敵にとっても不利益であります。
ことに、片腕の無いがんりき[#「がんりき」に傍点]の百は、片腕が無いだけ、それだけ捉まえどころが少ないわけであります。がんりき[#「がんりき」に傍点]の立場から言えば、取組ませては万事休するのですから、その敏捷な身体のこなしと、自由自在な一本の腕を以て、敵に組ませないうちに突き落してしまうに限るのであって、がんりき[#「がんりき」に傍点]はよくその策戦に成功しました。
青地錦に包んだ長い物だけは、抜く暇がなかったか抜かない方が勝手であったのか、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百は、その紐を口に啣《くわ》えたままで、それを以て自分を守ろうとしないで、身を以てその袋を守ろうとするもののように見えます。
寄せて来た裸虫も、がんりき[#「がんりき」に傍点]を取って押える目的と、一つにはその青地錦を引奪《ひったく》ろうとする目的と二つがあるように見えました。その二つはいずれも成功しないで、大の裸虫が、ズドンバタンと高いところから突き落されたり、尻餅を搗《つ》いてそのままウォーターシュートをするように下へ辷《すべ》り落ちてギャッと言うものもありました。
もどかしがってこの屋根の上の組んずほぐれつの活劇を見ていた神尾主膳の許へ、小森蓮蔵が弓矢を携えてやって来ました。
小森は流鏑馬の時の姿ではなく、羽織は着ないで袴だけつけて、やはり白重籐《しろしげとう》の弓に中黒の矢二筋を添えてやって来ました。
小森を迎えに行った侍がそのあとから、二十四差した箙《えびら》を持ってついて来ました。
「小森殿、早う」
と神尾主膳が招きました。
「何事でござる」
「小森殿、大儀ながら、あの悪者を仕留めてもらいたい」
神尾に言われて、屋根の上の騒ぎを見ていた小森の眼には、やや迷惑の色がかかりました。
「いったい、あれは何事でござる」
「あの中での悪者は、あれあの袋に包んだ太刀を持っているその片腕の無い奴がそれじゃ、察するにあの太刀を奪い取って逃げようとするのを、大勢に追いつめられて、逃げ場を失ったものと見ゆる。しかし、片腕ながら、大勢を相手にひるまぬところは面憎《つらにく》き奴、
前へ
次へ
全104ページ中95ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング