の侍を迎えて進んで、近いところへ来て跪《ひざまず》きました。立烏帽子の侍もまた膝を折って、
「早や流鏑馬《やぶさめ》を始め候え」
というと、十六人が同時に、
「承りて候」
と言って一斉にその場をさがって、おのおの引かせた馬に跨《またが》ります。
その時に、四十八人の的持はてわけをして北の方の的場へ颯《さっ》と退《ひ》きました。そこへ的を立てて、その下に衣紋《えもん》を繕《つくろ》うて坐ると、弓持は北の方の隅の幕へ弓を立てかけました。
射手《いて》は順によって馬を進ませ、八幡社の方に一礼する。再び元へ戻って轡《くつわ》を並べる。西の方で白扇を飜して合図があると、東の方で紅の扇をかざしてこれに応《こた》える。用意がすでに整うと、第一番の射手が馬を乗り出しました。三たび馬を回《めぐ》らした後、日の丸の扇を開いて、笠の端を三度繕い、馬を驀然《まっしぐら》に騎《の》り出しながら、その開いた扇を中天に抛《なげう》つ。これは古式の通り捨鞭《すてむち》の扇であります。
策《むち》を揚げて馬を乗り飛ばし、矢声をかけて、弓を引き絞って放つと過《あやま》たず、一の的、二の的、三の的を見事に砕いて、満場の賞讃の声を浴びて馬を返す。
第二番は――宇津木兵馬でありました。ここでは仮りの名を小川静馬と言い、綾藺笠を冠《かぶ》って、面がよくわかりません。桟敷で女たちが見ていた通り、兵馬は薄化粧をしていましたようです。馬を乗り出すことから、捨鞭の扇を投げるまで、すべて小笠原の古式の通りでありました。
策《むち》を揚げて弓を引き絞って、切って放した矢は過たず、一の的を打ち砕きました。二の的もまた同じこと、三の的も……瞬く間に打ち砕いて、これも盛んなる賞讃の声を浴びて馬を乗り返しました。
第三番は小森蓮蔵――これもまた手練《てだれ》なもので、同じように三枚の的を打ち砕いてしまいました。そうして同じような賞讃を受けました。
こうして見れば、なんらの波瀾もありません。駒井家から出た者も、神尾から出した者も、一様に功を樹《た》ててみれば、恨恋《うらみこい》はない。
それから第四番以下は、第三番までとは段の違った射手でありました。三枚とも的を砕くのは甚だ稀れで、大抵は三本の矢のうち一本は射外《いはず》すのであります。それで十六騎のうち、三枚の的を打ち砕いたものは都合五騎ありました。他の十一騎は二
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