うしてお置きあそばせ、御簾が無い方がよろしいではございませんか」
 女中たちは、なまじい御簾を下ろされて、せっかくの観物《みもの》を妨げられることを好みませんでした。お松もまた、せっかくの観物の始まるに先だって、こんなことをしたくないのであります。
「では、このままにして置きましょう」
と言って、御簾を卸すことをやめたけれども、心配は自分のことでなくて、お君の身の上にあるようでした。だから改めて坐り直す時に、わざと身を以てお君の前へ坐って隠すようにしながら、
「お君様、あれに、わたくしどもの主人が」
と言って、そっと前の桟敷を指して示しました。
「どのお方」
とお君がなにげなく、お松に指さされた方を見て、
「あ!」
と面《かお》の色を変えました。
 その時に、ちょうど十六人の射手はこの桟敷の下を通りかかりました。お松は、お君が面色《かおいろ》を変えたことを、それほどには気にしないで番組を借りて見ながら、
「第一番は、筑前守様の御家来で正木様。あのお方がそれでございましょう」
と番組と人とをお松は見比べながら、
「第二番は能登守様の御家来で小川様……」
と言って、番組と人とをまた引合せながら、
「お君様、あなたの殿様からおいでなされたお方は、まだ若いお方でございますね」
 お松の蔭に隠れるようにしていたお君は、小さい声で、
「主人のお小姓でございます」
と言っている時に、その人は桟敷の下へ来て綾藺笠《あやいがさ》を振りかたげて桟敷の上を見上げました。紫地錦《むらさきじにしき》の直垂《ひたたれ》を着て、綴《つづれ》の錦に金立枠《きんたてわく》の弓小手《ゆごて》をつけて、白重籐《しろしげとう》の弓を持っていましたが、今なにげなく振仰いで笠の中から見た面を、お松は早くも認めて、
「お君様」
「はい」
「あなた様のお家のお方は、薄化粧をしておいでになりました」
「ごらんになりまして?」
「確かに……」
「その通りでありまする」
 お君とお松とは頷き合いました。その時にお松の心が遽《にわ》かに勇みをなしました。

         十四

 古式に装《よそお》うた花やかな十六騎が、南の隅に来てハタと歩みを止めた時に、馬場本《ばばもと》に設けられた記録所から、赤の直垂をつけて太刀を佩《は》き、立烏帽子に沓《くつ》を穿いた侍が一人、徐々《しずしず》と歩んで出て来ました。十六人は、そ
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