に喜びました。
「お君様、ここで拝見させていただいてよろしうございますか」
「よいどころではございませぬ、さあさあこちらへ」
 お松はお君のいるところへ訪ねて、一緒に見物をさせてもらいに来たのは、お君の方《かた》にとってはかえって願ったり叶ったりの喜びでありました。お君は嬉しがって、お松に半座を分けて与えます。
 お君の方について来た女中たちもまた、喜んでこのお客を待遇《もてな》しました。前の筑前守の使の者とは打って変って、打解けた気持でこの若いお客を待遇《もてな》すことができました。
 お松もまた、ほかに席があったのだろうけれども、わざわざここをたずねて見物を同じにさせてもらいたいほど、ここへ来るのを喜んでいました。
 お君と並ぶようにして席を取って、馬場の人出を見渡したお松は、桟敷の方に目を注いでいるうちに何かに驚かされて、ただならぬ色を現わし、
「お君様、この御簾《みす》を少し下げようではありませんか」
 総《ふさ》で絞った幕の背後に御簾を高く捲き上げられてあったのを、お君は今まで気がつきませんでした。
 ちょうどその時に、相図の花火が揚りました。今日はこれから、今までに見られなかった流鏑馬《やぶさめ》がはじまるのであります。
 花火の相図と共に、立烏帽子《たてえぼし》に緑色の直垂《ひたたれ》を着て、太刀を佩《は》いた二人の世話係が東から出て来ました。西の方からは紅の直垂を着て、同じく太刀を佩いた二人の世話係が出て来ました。この四人の世話係が馬場の本と末とに並んだ時――馬見所《ばけんじょ》も桟敷も大入場も一同に鳴りを静めました。
 御簾を下ろそうとしたお松も思わずその手を控えて立ちながら、多くの人と共に馬場の東の方をながめます。
 十六人の射手《いて》が今そこから馬場の中へ乗り込む光景は、綾錦《あやにしき》に花を散らしたような美しさであります。その十六人は、いずれも優《みや》びたる鎧《よろい》直垂《ひたたれ》を着ていました。それに花やかな弓小手《ゆごて》、太刀を佩き短刀を差して頭に綾藺笠《あやいがさ》、腰には夏毛の行縢《むかばき》、背には逆顔《さかづら》の箙《えびら》、手には覚えの弓、太く逞《たくま》しい馬を曳《ひ》かせて、それに介添《かいぞえ》を一人と弓持一人と的持を三人ずつ引具《ひきぐ》して、徐々《しずしず》と南の隅へ歩み出でたのであります。
「お松様、そ
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