ったのみならず、士分の者や、町民の由緒《ゆいしょ》と富裕とを持った者の桟敷に至るまでも、やはり注目の標的《まと》となりました。
太田筑前守は、席を占めていたけれど、駒井能登守はまだ見えません。
神尾主膳は、それよりも先に例の一味の者を語らって、例の桟敷に詰めていましたが、やはり評判につれて、向い合ったこの桟敷に現われた美しい女房の姿を、目につけないわけにはゆきませんでした。
「なるほど」
主膳の左右にいる者の小声で噂《うわさ》するところによれば、あれこそ、新支配の駒井能登守が、このごろ新たに手に入れた寵者《おもいもの》ということであります。
「そうか」
神尾主膳は遠くから、皮肉のような好奇《ものずき》のような眼をかがやかして、その美しい女房の現われた桟敷に篤《とく》と目を注ぎました。
「あれが……」
と言って主膳は、その目を細くして、わざとらしい不審の色を浮ばせました。
そのわざとらしい不審の色が、険《けわ》しい眼の中へ隠れて行く時に、ハタと膝を拍《う》った神尾主膳はなぜか、
「はははは」
と、そんなに高くはなかったけれど、四辺《あたり》の人を驚かすほどに笑いました。それは皮肉と陰険と、そのほかに、これらの人物によく現われる、得意と侮蔑《ぶべつ》とを裏合せにしたような笑い方であります。
そのうちに太田筑前守の老夫人が、また前の日のように多くの女中を連れて、婦人席の第一の桟敷へ来ました。
第一の桟敷、第二の桟敷というけれども、それは長い一棟で、金屏風を以て仕切られてあるのみです。
老夫人の一座が、そこへ席を占めて後に、その召しつれた人々によって囁《ささや》かれたのは、第二番の桟敷の客のことでありました。
それらの婦人たちが、姦《かしま》しく物を言い、或いはワザとらしく囁くのが、金屏風で隔てられた次の桟敷へはよく響くのであります。駒井と言い、能登守と言い、それから指を出したり手真似をしたりする模様まで、手にとるようにわかるのであります。
第二の桟敷に来て噂の種となっている美しい姿は、それは、お君の方《かた》であったことは言うまでもないのであります。
お君の方はこの日、老若四人の婦人たちを連れて――というよりはその婦人たちにせがまれて、この席へ見物に見えたものであります。
お君はここへ見物に出ることをいやがりました。人中へ出るのが嫌いだと言って断わ
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