、がんりき[#「がんりき」に傍点]ときては、何をいたずらをやり出すのだか知れたものではありません。
二人がこの小高いところから下りて、人混みの中へ紛れ込んだのは、それから幾らも経たない後のことであります。
その日の競馬はそんなような景気でありました。その翌日の競馬はそれに弥増《いやま》した景気でありました。
両日共に日は暮れるまで勝負が争われ、勝った者は馬も乗り手も揚々として村方へ帰り、負けた者は後日を期した意気込みを失いません。かくて第三日となりました。今日は最終の日で、そうして晴れの流鏑馬のある日でありました。それが士分の者によって行われようという日であります。
この日になって、雛壇の桟敷《さじき》の二番目へ、前二日の日には曾《かつ》て見かけなかった美しい女房が、老女と若い侍女をつれて姿を見せたことは、早くも初日以来の見物の眼に留まらないわけにゆきません。これを見つけた者は、早くもその噂をはじめました。
「あれだ、あれだ、あれがソレあれだよ」
この二日の日において、支配の太田筑前守の老女を初め、重立った人の奥方や女房や女中たちの面も大抵わかったし、その品評もほぼ定まったけれども、今日そこの桟敷に姿を現わした美しい人は、その例外でありました。前二日には全く姿を見せなかった人であるのみならず、その桟敷も一間を占めて、太田筑前守の夫人にもおさおさ劣らぬほどの格式で見物に来たものですから、疑問が大きくなりました。
「あれがそれ、駒井能登守様の奥方よ。どうだ、おれの言った通り素敵《すてき》なものではないか、醜婦《ぶおんな》で嫉妬《やきもち》が深くて、うっかり女中にも手出しができないと言ったのは誰だ、ここへ出て来い」
例の見物席にこんなことを言い出すものがありました。
「なるほど」
それらの見物の眼は、一斉《いっせい》にこの桟敷へ向います。
そう言われて見れば、それに違いないと思うもののみであります。奥方とはいうけれども、そこに処女《おとめ》のような可憐なところが残っていました。その可憐な中には迷わしいような濃艶《のうえん》な色香が萌え立っていました。人に遠慮して、わざと横を向いている面《かお》には初々《ういうい》しい恥かしさがありました。一糸も乱れずに結い上げた片はずしの髷《まげ》には、人の心に食い入るような油がありました。
これは大入場の観客の問題とな
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