めあてに行くものと見なければなりません。
 人に見えないところを歩いて行く間の二人の足は、驚くべき迅《はや》さを持っていましたけれど、甲府へ近づいてからの二人の足どりは世間並みでありました。
 二人とも笠を被って長い合羽《かっぱ》を着て、脇差を一本ずつ差していました。先に立っている方が年配で、あとから行くのが若いようです。
「大へんな景気だな」
と言って立ちどまったところは要害山《ようがいやま》の小高いところであります。ここから見下ろすと、馬場を取巻いた今日の景気を一眼に見ることができます。
「大当りだ」
と言って若い方が笠の紐を結び直しました。そうすると年配の方は、松の根方の石へ腰をかけて煙草を喫《の》みはじめました。
 若い方は別に煙草も喫みたがらず、腰もかけたがらずに、しきりに馬場の景気、桟敷の幔幕、真黒く波を打つ人出、八幡宮の旗幟《のぼり》、小屋がけの蓆張《むしろばり》などを、心持よかりそうにながめていました。
 年配の方は七兵衛であって、若い方はがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵であります。どこにどうしていたのか、この二人は流鏑馬を当て込んで、また性《しょう》も懲《こり》もなく、この甲府へ入り込もうとするらしい。どのみちこの二人が当て込んで来るからには、ロクな目的があるわけではなかろうけれど、ドチラにしてもこの面《かお》で、甲府へ真昼間《まっぴるま》乗り込もうとするのは、あまり図々しさが烈しいと言わなければならぬ。けれども二人としては、この機会に何かしてみなければ気が済まないのでありましょう。
 ただこの機会に何かしてみたいという盗人根性《ぬすっとこんじょう》が、二人をじっとさせておかないのみならず、まだこの甲府に何か仕事の仕残しがあればこそ、この機会を利用してその片《かた》をつけてしまうために、協同して乗り込んで来たものと見れば見られないこともないのです。
 だから、二人がこうして小高いところから、夥《おびただ》しい人出を見下ろしている眼つき面つきにも、いつもよりはずっと緊張した色があって、乗るか反《そ》るかの意気込みも見えないではありません。
 二人が仕残した仕事といったところで、七兵衛は兵馬の消息を知りたいこと、それとお松とを取り出して安全の地に置きたいこと、その上で本望を遂げさせてやりたいこと、それら多少の善意を持った物好きがあるのだろうけれど
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