たけれども、追々に陽気になって行くのに、ひとり主人役の神尾主膳のみが、苦り切って、酒を飲むこと薬を飲むようにしているのは、いつもに似気《にげ》なき様子であります。こうして当日の八幡社前へは、甲州一円のあらゆる階級の人が集まることになりました。
 あとからあとからと蟻の這《は》うように、馬場をめざして人の行列が続きます。この分ではとても落々《おちおち》と流鏑馬《やぶさめ》の見物は出来まいからと諦《あきら》めて、竜王の花火の方へ河岸《かし》を換えたのもあったから、竜王河原もまた夥《おびただ》しい人出でありました。
 これらのあらゆる種類の見物のうちに、まだ一つ閑却することのできない種類の見物《みもの》があります――それは例の折助の一連でありました。
 手の空《す》いた折助連中はその倶楽部《くらぶ》である八日市の酒場に陣取って、これから隊を成して馬場へ押し出そうというところであります。
 一口に折助と言ってしまうけれども、団結した折助の勢力には侮《あなど》り難いものがあるのであります。また彼等は渡り者であるだけに、みな相当の歴史を持っているのであります。食詰者《くいつめもの》であるだけに、かなり道楽の経験のある者もあるのであります。また意外に学問の出来る者もあるのであります。これから馬場へ押し出そうとする折助連中の面《かお》ぶれを見ても、その折助として雑多な性格を見ることができるのであります。
 そのなかには、貸本の筆耕をして飲代《のみしろ》にありついているのもありました。四書五経の講義ができるぐらいのものもありました。
 江戸で芝居という芝居を見つくしたと自慢するのもありました。寄席《よせ》という寄席に通いつくしたと得意なのもありました。なかには淫売婦《じごく》という淫売婦を買いつくしたと言って威張るのもありました。
 そのほか、折助のうちには、なかなかの批評家もおりました、皮肉屋もおりました。今日のような時には、その連中はじっとしていられないのであります。またそれをじっとしておらせようなものならば、彼等は折助式の反抗と復讐をすることに、抜け目のあるものではありません。
 それ故に、何かの催しのある時には、この折助に渡りをつけることを忘れてはなりません。今日の流鏑馬《やぶさめ》は、官民合同とはいうようなものの官僚側の主催のようなものだから、そんなに折助に憚《はばか》ると
前へ 次へ
全104ページ中80ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング