図をお待ち申し上げまする」
「時に宇津木どの、ちと保養をしてみる気はないか」
「保養と仰せあるは?」
「気晴しに、面白い遊戯をしてみる心持はないか」
「それは、永々の鬱屈《うっくつ》ゆえに、何なりと仰せつけ下さらば、お相手の御辞退は仕《つかまつ》りませぬ」
「別に拙者の相手を所望するのではない、どうじゃ兵馬どの、馬に乗ってみては」
「それは一段と結構なことに存じまする、承りてさえ心が躍《おど》るように存じまする」
「馬に乗ることのほかに、さだめて御身は弓をひくことも得意でござろうな」
「弓?……それもいささかは心得ておりますれど、ホンの嗜《たしな》み、得意というほどの覚えはござりませぬ」
「ともかくも、馬に乗りて弓をひくことの保養をして御覧あれ、明日とも言わず、ただいまより庭へ出でて、馬を調べ、弓矢を択《えら》んで試みてはいかがでござる」
「それは願うてもなき仕合せ。しからば仰せに従いて、これより直ちに」
「厩《うまや》へ案内致させ申そう、そのうちにてよき馬を遠慮なく択み取り給え、弓矢も望み次第のものを」
 兵馬は喜んで、能登守のあとに従いました。
 その日から宇津木兵馬は、能登守の邸内の馬場で馬を責めました。馬は有野村の藤原家からすぐって来た栗毛の逸物《いちもつ》であります。

         十三

 そうしているうちに、二月|初卯《はつう》の流鏑馬《やぶさめ》の当日となりました。
 八幡の社前で流鏑馬が行われるのみならず、竜王の河原では花火が打ち上げられました。町々の辻では太鼓の会がありました。それで甲州一円の人が甲府の市中へ流れ込みました。最初の二日は、名は流鏑馬であるけれども実は競馬であります。
 馬場の一面には、八幡宮の鳩と武田菱《たけだびし》との幔幕《まんまく》が張りめぐらされてあり、その外は竹矢来《たけやらい》でありました。
 南の方の真中に両支配の桟敷《さじき》があり、その左は組頭、御武具奉行、御破損奉行、御仮目附《おかりめつけ》、それから同心、小人《こびと》などの士分の者の桟敷であり、右の方は、それらの人たちの奥方や女房のために設けられた桟敷でありました。そのほかは近国から招く客分の人だの、国内の待遇のよい人々のために設けられた桟敷であります。
 一般の見物は東の口から潮のようになだれ込みました。これらの者のためには地面へ蓆《むしろ》をしいてあ
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