日の騎射、駒牽《こまひき》、左近衛《さこんえ》、右近衛《うこんえ》の荒手結、真手結、帯刀騎射《たてわききしゃ》というような儀式、武家では流鏑馬に犬追物《いぬおうもの》、笠掛《かさがけ》、みな馬上の弓でござる。このたび当所にて催さるる流鏑馬はいずれの古式にのっとられるか知らねど、多分は小笠原の流儀によることならんと存ぜらるる。ともかく、明日にも馬場を拝借して一責め致してみたいと存じ申す。その節、実地につき拙者の心得申したるところをいささかながら御参考のためにお話し申し上げたい、また拙者の流儀が他流と異なるところをも多少なりと御覧に入れたい」
 こう言って諄々《じゅんじゅん》と語るところを見れば、必ずや相当の自信がないものではないと思わせられるのであります。
 主膳はこの人を招くことにおいて非常な苦心をしました。人を遣《つか》わして信州から、わざわざ招かせたものでありました。それは無論、流鏑馬の当日に手柄を現わし、己《おの》れが面《かお》を立てると共に、駒井能登守に鼻をあかさせたい心からでありました。表向きは自分の家中ということにしておくけれど、このことが済めば多分の礼を与えて送り帰すという、客分の待遇で迎えて来たものです。

 宇津木兵馬はその時分、もうすっかり身体が癒《なお》っておりました。身体は癒ったが、まだここを立つというわけにはゆきません。
 今は日に増し元気も血色もよくなってゆくのに、兵馬はひとりその部屋で机に向って読書に耽《ふけ》っておりました。
 その時に、二階へ上って来る人の足音を聞きました。それが二人の足音であった時には、お君がお松の手引をして来るのであるし、それが一人の足音である時は、能登守が見舞に見えるのが例でありました。今は一つの足音であったから、能登守にきまっていると、兵馬は襟を正して待っていると、
「兵馬どの」
 果してそれは能登守でありました。
「これはこれは」
と言って兵馬は、褥《しとね》を辷《すべ》って礼をしました。能登守はいま研究室から来たものと見えて、筒袖羽織に袴であります。
「退屈でござろうな」
「こうして読書を致しておりますれば、さのみ退屈にも感じませぬ」
「毎朝一度ずつは、庭へ出て散歩をなさるがよかろう。いずれ近いうちには、自由の身にして上げたい、もう暫くこのままで辛抱されるように」
「有難きことに存じまする、なにぶんのお指
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