…」
と言って立ちかけたお君は、この箱の中にあった絵姿に見入ってしまいました。これは絵姿ではありません。けれども、お君は、絵姿だと思って、
「ほんとに、お生写《いきうつ》し……どうしてこんなに上手にかけるものでございましょう」
と我を忘れて驚嘆したのであります。
「それはかいたのではない」
と能登守は微笑しました。けれども、お君にはその意味がわかりませんでした。
「恐れながらこちらのは、殿様、こちらのお方は……」
お君の見ている絵姿には、二人の人の姿が写し出されてあるのであります。その一人はこの能登守、もう一人は気高《けだか》い婦人の像《すがた》でありました。
「それは、お前によく似た人」
この時のお君が写真というものを知ろうはずがありません。眼に見たことはおろか、話にさえ聞いたことはありません。
「それは、お前によく似た人」と言われて、お君の胸は何ということなしに騒ぎました。念を推してお尋ねするまでもなく、これは殿様の奥方でいらっしゃるとお君は覚《さと》りました。
お君は奥方のお像をじっと見入って、「お前によく似た」とおっしゃった殿様のお言葉が、おからかいなさるつもりのお言葉で
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